2015年9月10日木曜日

物想いふたたび


ホーチミン市内の好きなカフェ、Bang khuang cafe(バンコアンカフェ)へ。変わらない店内、ランチ。スタッフも変わっておらず、私を覚えていてくれて、嬉しかった。

以前こちらにカフェレポを書きました↓
http://nhatkytronghem.blogspot.com/2013/11/blog-post_22.html

私が勝手に「物想いカフェ」と呼ぶこちら、そこへ行ってしまったせいか何なのか、気持ちがふわふわしております。帰国が近いからでしょうか。久しぶりに「外国人」になったからでしょうか。単に人恋しいのでしょうか。

Bang khuangの名にふさわしく、ふわふわ。ふらふら。


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2015年9月8日火曜日

きょうのベトナム語~「エコ・プロダクト」


Sản phẩm xanh

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sản phẩm…製品
xanh…緑(場合によっては青)
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翻訳中の資料に出てきた単語。直訳は「緑の製品」で、英語の「green product」から訳してできた単語ではないかと思われます。日本語としては、「環境にやさしい製品」「エコ・プロダクト」などとするのがいいかな。

ベトナムでもエコは最近よく耳にする分野。エコがらみではxanh(緑)というキーワードの他に、thân thiện với môi trường=「環境に対して友好的である」=「環境にやさしい」もよく見かけるようになりました。

備忘録的な、きょうのベトナム語。


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2015年9月7日月曜日

そのめがね、何度?


カフェの店員さん、バスの車掌さん、バイクタクシーの運転手さんなど、たまたまその場に居合わせる人々。東京だったら非常にシステマティックに作業が進められ、会話もほとんどせずにいる人々ですが、ここサイゴンではそうもいかず。

出会いがしらに国籍を聞かれ、年齢を聞かれ、既婚か独身かを聞かれ、家族構成を聞かれ、ベトナム滞在年数を聞かれ… 初対面の人に質問されて答える情報量が日本のそれとは異なり圧倒的に多いことにはもうすっかり慣れましたが、今回の滞在中によく聞かれ、若干困惑してしまう新手の質問。それは、

「そのめがね、何度?」

ド近眼ですみませんねー!とひとり苦笑。確かに私は目が悪いのです。めがねは小4から顔の一部だし(思春期~大学卒業まではコンタクトに浮気)、レンズ越しには顔の輪郭がはっきり歪んでしまうので、度数が強いことも一目瞭然。しかしベトナムと日本ではレンズや視力の測量方法が全く違うらしく、

「マイナス9度くらい」

と答えると

「はあ?」

と言われ(マイナス、という数え方はしないらしい)

「あ、視力はもう0.01ない」

と答えても

「はぁ?!」

と言われ(これは単に驚かれているのかも?)

こんな感じで話がうまく通じないので、これはきっとはかり方が違うみたいだね、という結論に落ち着く、という…。

めがねを指摘されることは、嬉しくもなければ悲しくもないけれど、すっかりコンタクトを受け付けなくなってしまっためがね人の自分の目の度数を、ベトナム基準でも知っておかなければというへんてこな義務感に駆られる、そんな日々。

平和です。


写真はよくいく団地の下のカフェにて。いつものおばちゃんが、「おばあちゃん」業を楽しんでいました。


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2015年9月6日日曜日

南北統一鉄道体験


日曜日の今日は、日本から来ている研修グループの皆さんと一緒に南北統一鉄道の乗車体験をしてきました。南のサイゴン駅から北のハノイ駅まで、約1800kmを縦断する列車。今回はわずか40分の、サイゴン駅からお隣ビエンホア駅(ドンナイ省)までの乗車でしたが、車窓からの風景と、生活感たっぷりの車内の風景を味わってきました。


サイゴン駅ホームの様子。9時発のSE6という列車に乗りました。ビエンホア駅までのチケットは31000ドン(現在のレートで約170円)。念のためチケットは前々日に買っておきましたが、正解。車内はほぼ満席でした。ちなみに規定が変わったようで、チケット購入時には氏名とパスポート番号が必要になりました(昨年までは必要なかったのですが)。これらの情報はチケットにもちゃんと印字され、乗車時にチェックされるようになっています。


こちらは私たちが乗った車両の様子。今回は一区間の移動体験ということで、一番ランクの低い「ハードシート」タイプを選びました。木でできた、まさに「硬い椅子」(笑) 他にはリクライニング付の「ソフトシート」、寝台車両である「3段ベッド」と「2段ベッド」タイプがあり、それぞれに価格が異なります。

この列車は長距離移動に使われるため、私たちのようにサイゴン駅で乗ってビエンホア駅で降りる人はほとんどいません。お客さんは皆さん大きな荷物を抱えて乗車しますし、ホームには見送りの家族や友人たちで溢れんばかりです。皆さん、どこへ行くのかなぁ…。


こちらは車窓からの様子。ホーチミン市中心部を抜けると、景色がガラッと変わります。私は過去に一度だけ、約35時間かけて列車でハノイまで行きましたが、縦断中はこうした農村風景が大部分を占めていました。つくづく、ホーチミンは特殊な都市なのだと実感します。

車窓からの景色も楽しいのですが、もっと楽しいのは車内の様子。長距離移動にそなえ、ゴザや枕を持ちこんでそれらを床に敷き、寝そべる人多数。食堂車もあれば車内販売もあり、ここで何十時間も過ごす人々の生活感がたっぷりなのです。


約40分間の走行を経て、ビエンホア駅に到着。ここから乗りこむお客さんが多く、車内へと押し寄せる人々の波をかき分けて降りるのに一苦労な私たちでした。降車後しばらくホームで様子を見ていましたが、やはり見送りの人々が多く、中には涙ぐむ女性の姿も見られました。遠くに行ってしまう親戚や友人とのお別れの場面なのだろうと想像し、この国の南北の長さ、国土だけでなく精神的な長さ(遠さ)をあらためて感じました。


ビエンホア駅の外に出ると、こんな感じでゴザがたくさん売られていることに驚きました。長距離移動に必須のアイテムなんだな、と。「10」と書いてあるのは「10000ドン」の意味で(下3けたが省略さています)、一枚約55円。ほぼ使い捨てなのかな… 実際にこれを買って列車に乗り込むお客さんも多いのだろうと、車内の様子から伺えます。

このあとはタクシーに乗り換え、先日行ってきたお馴染みのカトリック教会に、グループの皆さんを案内しました。神父さんに、ベトナムにおけるカトリックの立場のこと、そしてドンナイ省という土地のことなどをじっくり説明してもらいました。工業地帯として発展し、仕事を求めて全国から人が集まって来ているドンナイ省。グループの皆さんにとって、ホーチミンという大都会の暮らしとの違いを感じることのできる機会になったのではと思います。


ところで、やっぱり列車はいいなぁと、ひとりどこかへ行ってしまいたい気持ちになった私でした。

ど~こ~かと~おくへ~ゆ~きた~い


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2015年9月3日木曜日

早朝散歩、きれいな空


僭越ながら(実はかなりドキドキしながら)前記事で掲載した『独立宣言』(拙訳)、多くの方に読んでいただけたようで大変うれしく思っています。興味を持っていただいた皆様、本当にありがとうございました。翻訳者として駆け出しの私ですが、これからも精進していこうと背筋が伸びました(猫背に拍車がかかっているので本当に伸ばしているこの頃、笑)。

ベトナムを独自の切り口で紹介するおもしろサイトの「べとまる」さんにも、この度ちらりとご紹介していただきました。ありがとうございました!
http://www.vietmaru.com/archives/46145123.html


さて、その独立記念の日であるその9月2日。ホーチミン在住で長いお付き合いになる日本人の友人Cちゃんと一緒に、早朝散歩に行くことになりました。めずらしく5時起きし、眠い目をこすりながらカーテンを開けると、なんと素敵な朝焼けが…!


ダッシュで着替えてフロントのお兄さんをたたき起してシャッターを開けてもらい(お兄さんごめん)、ホテルの外に出ました。朝からこんな景色が見られるなんてラッキーだなぁ、いいことがあるかなぁ…なんて見とれながらバシバシ写真を撮っていたら、同じく早朝散歩らしい通りすがりの地元のおじさんに「スマホ危ないぞ」と注意されました。知らない小娘だろうが、外国人だろうが、こうして注意してくれるのです。こういうところが好きなんだよ…と目頭を熱くしつつ、空があまりにきれいでお構いなしに写真を撮り続ける私でした(笑)


火みたいだよなぁと思って眺めていて、ある友人に写真を送ったら「水みたいだね」と言われました。逆…!と、人の感性の違いになんだかウキウキしました。


Cちゃんと合流して、1区Nguyen Hue通りにやってきました。中央部分が広い歩行者天国となったこの通り、特に祝日だからかもしれませんが、ランニングや体操する人々で賑わっていました。ところどころベンチもあって、腰かけておしゃべりに花を咲かせる人たちも。あるベンチから聞こえる元気な声のおばちゃんたちのベトナム語に聞き耳を立てたら、「あの店は美味しいのよ~~~」と情報交換をしていて、井戸端会議はどの国でも一緒だよねと微笑ましくなりました。CちゃんとNguyen Hue通りをゆっくり歩きながら2往復したら、人民市庁舎側でイベントのリハーサルらしきものが始まりました。私は見られなかったのですが、このあと日中に独立記念を祝うイベントがあったそうです。赤いアオザイの女性と、青いアオザイの男性の艶やかなコントラストがよかったです。


帰り途、Cちゃんと朝食を。最近できたらしいお洒落なカフェで、バインミーとコーヒーのセット(5万ドン=約274円)を食べました。美味。

Cちゃんは、実は私がベトナムに留学する前からの知り合いで、留学にあたってちょっとだけベトナム語を学んでいた池袋のランゲージスクールの、クラスメイト。私が留学した1年後に「私も行きます」と、同じくホーチミンに語学留学にやってきたCちゃん。年齢的にも立場的にも近い存在で、ホーチミン暮らしで彼女に精神的に助けてもらったことが何度も何度もありました。私が昨年、先に帰国をしましたが、現在も仕事をしながらホーチミン暮らしを続けるCちゃん。SNS嫌いで主義を貫くCちゃんの近況は、こうやって会って話さないとわかりませんが(笑)、でも本来はこうやって直接会って、人との付き合いって続いていくものだよなぁなんて思いました。SNSのおかげで遠くにいる、滅多に会えない人の近況も知れて、繋がっていられるようになって、それはとても素晴らしいことですが、同時にごくたまにでも、こうして大事な人には会い続けていけたらな、と。Cちゃんとは現在は住む場所が変わり、お互いに会える頻度は少なくなりましたが、不思議と「きっとまた必ず会えるだろう」という感覚を持ち続けられます。そういう友人って、貴重だなぁと感じた朝でした。


私も私で、どこにいても元気に過ごそうと、猫のように丸まった背中を、あらためてしゃんとさせています。

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2015年9月1日火曜日

国慶節にむけて―『独立宣言』(拙訳)


明日9月2日は、ベトナムがフランスおよび日本からの独立を宣言した日。ベトナムではQuốc Khánh(国慶節)として、国の祝日になっています。1945年の独立宣言から今年で70周年。節目の年でもあり、ハノイ市内では大きな式典が、ホーチミン市内でも華やかなイベントが開かれると聞いています。少し前から、街も国慶節仕様。あちこちで看板が見られたり、タクシーの上に国旗が掲げられていたり。


私は毎年、この日は故ホー・チ・ミン主席の独立宣言を読んだり、音声を聴いたりしてきたのですが、今年は思いきってその独立宣言を和訳してみました。すでに書籍やネット上にも和訳が存在するこの宣言ですが、ところどころそれらを参考にさせていただきながら、自分なりに全文を見直してみました。日本語としてより良い表現もたくさんあると思います。個人の試訳ですので、読んでみて何かお気づきの方がいましたら、率直なご意見やご感想をいただけるととてもうれしいです。

以下、少々長いですが、始まります↓

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※ホー・チ・ミン主席の肉声はこちらから聴けます。聴きながら読んでいただけると良いと思います。

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Hỡi đồng bào cả nước,

国じゅうの同胞達よ

"Tất cả mọi người đều sinh ra có quyền bình đẳng. tạo hóa cho họ những quyền không ai có thể xâm phạm được; trong những quyền ấy, có quyền được sống, quyền tự do và quyền mưu cầu hạnh phúc".

「すべての人間はみな、平等権を有して生まれる。創造者は彼らに、誰にも侵すことのできない複数の権利を与える。その複数の権利のなかには、生きる権利、自由の権利、幸福を追求する権利がある」

Lời bất hủ ấy ở trong bản Tuyên ngôn độc lập năm 1776 của nước Mỹ. Suy rộng ra, câu ấy có ý nghĩa là: tất cả các dân tộc trên thế giới đều sinh ra bình đẳng; dân tộc nào cũng có quyền sống, quyền sung sướng và quyền tự do.

この不朽の文言は、アメリカの1776年独立宣言のなかに存在する。考えを広げれば、先の文は次の意味となる。世界じゅうのすべての民族はみな平等に生まれ、いずれの民族も生きる権利、幸福になる権利、自由である権利を有する。

Bản tuyên ngôn nhân quyền và dân quyền của cách mạng Pháp năm 1791 cũng nói: "Người ta sinh ra tự do và bình đẳng về quyền lợi, và phải luôn luôn được tự do và bình đẳng về quyền lợi". Đó là những lẽ phải không ai chối cãi được.

1791年のフランス革命における人間と市民の権利の宣言も、次のように言う。「人々は権利について自由かつ平等に生まれ、権利について常に自由かつ平等でなければならない」。これは誰にも否定することのできない道理である。

Thế mà hơn tám mươi năm nay, bọn thực dân Pháp lợi dụng lá cờ tự do, bình đẳng, bác ái, đến cướp đất nước ta, áp bức đồng bào ta. hành động của chúng trái hẳn với nhân đạo và chính nghĩa.

にもかかわらず、この80年以上の間、フランス植民地主義者達は、自由、平等、博愛の旗を利用し、わが国を奪い、わが同胞を弾圧してきた。彼らの行動は、人道や正義と全く相反するものである。

Về chính trị, chúng tuyệt đối không cho nhân dân ta một chút tự do dân chủ nào. Chúng thi hành những luật pháp dã man.Chúng lập ba chế độ khác nhau ở trung, nam, bắc để ngăn cản việc thống nhất nước nhà của ta, để ngăn cản dân tộc ta đoàn kết. Chúng lập ra nhà tù nhiều hơn trường học. Chúng thẳng tay chém giết những người yêu nước thương nòi của ta. Chúng tắm các cuộc khởi nghĩa của ta trong những bể máu. Chúng ràng buộc dư luận, thi hành chính sách ngu dân. Chúng dùng thuốc phiện, rượu cồn để làm cho nòi giống ta suy nhược.

政治については、彼らはわが人民に、民主主義的自由を決して与えようとしなかった。彼らは複数の凶悪な法律を施行した。彼らは中部、南部、北部で異なる三つの制度をつくり、わが国家が統一するのを妨害し、わが民族が団結するのを妨害した。彼らは学校以上に多くの監獄を建設した。彼らはわが国を愛しわが種族を愛する者たちの殺害を強行した。彼らはわれわれの蜂起を血の海に沈めた。彼らは世論を縛り、愚民政策を施行した。彼らはアヘンとアルコールを用い、わが種族を弱体化させた。

Về kinh tế, chúng bóc lột dân ta đến tận xương tủy, khiến cho dân ta nghèo nàn, thiếu thốn, nước ta xơ xác, tiêu điều. Chúng cướp không ruộng đất, hầm mỏ, nguyên liệu. Chúng giữ độc quyền in giấy bạc, xuất cảng và nhập cảng. Chúng đặt ra hàng trăm thứ thuế vô lý, làm cho dân ta, nhất là dân cày và dân buôn, trở nên bần cùng. Chúng không cho các nhà tư sản ta ngóc đầu lên. Chúng bóc lột công nhân ta một cách vô cùng tàn nhẫn.

経済については、彼らはわが民を骨の髄まで搾取し、わが民を貧しく、不足した状態にし、わが国を粗悪にし、荒廃させた。彼らは田畑を、鉱山を、資源を奪った。彼らは紙幣の発行や輸出入の権利を独占した。彼らはいくつのも不当な租税を作り、わが民を、とりわけ農民と商人を貧困へと追いやった。彼らはわが資本家達の繁栄を許さなかった。彼らは非常に残忍な方法で、わが労働者達を搾取した。

Mùa thu năm 1940, phát-xít Nhật đến xâm lăng Đông - dương để mở thêm căn cứ đánh đồng minh, thì bọn thực dân Pháp quỳ gối đầu hàng, mở cửa nước ta rước Nhật. Từ đó dân ta chịu hai tầng xiềng xích: Pháp và Nhật. Từ đó dân ta càng cực khổ, nghèo nàn. kết quả là cuối năm ngoái sang đầu năm nay, từ Quảng trị đến Bắc kỳ hơn hai triệu đồng bào ta bị chết đói.

1940年秋、日本のファシストが連合国を倒すための基地を増やすべく、インドシナ半島を侵略しにやって来ると、フランス植民地主義者達はひざまずき、扉を開いてわが国に日本を迎え入れた。そのときから、わが民はフランスと日本の二重の鎖に縛られた。そのときから、わが民はより苦難を抱え、より貧しくなり、その結果、昨年末から今年初めにかけて、クアンチ(Quang Tri)から北部において200万人以上の同胞が餓死した。

Ngày 9 tháng 3 năm nay, Nhật tước khí giới của quân đội Pháp. Bọn thực dân Pháp hoặc bỏ chạy hoặc đầu hàng. Thế là chẳng những chúng không "bảo hộ" được ta, trái lại, trong 5 năm, chúng dã man bán nước ta hai lần cho Nhật. Trước ngày mồng 9 tháng 3, biết bao lần Việt minh đã kêu gọi người Pháp liên minh để chống Nhật. Bọn thực dân Pháp đã không đáp ứng, lại thẳng tay khủng bố Việt minh hơn nữa. Thậm chí đến khi thua chạy, chúng còn nhẫn tâm giết nốt số đông tù chính trị ở Yên bái và Cao bằng.

今年39日、日本はフランス軍を武装解除した。フランス植民地主義者達は、ある者は逃亡し、ある者は降伏した。彼らはわれわれを「保護」するどころか、反対に5年間で2度もわれわれを日本に売ったのである。39日以前、ヴェトミン(Viet Minh:ヴェトナム独立同盟)は何度もフランス人に、同盟を組んで日本に対抗しようと呼びかけた。フランス植民地主義者達はこれに応じず、ヴェトミンへの迫害をより一層強行した。彼らは逃亡する前、インバイ(Yen Bai)やカオバン(Cao Bang)の多くの政治犯を虐殺しさえしたのである。

Tuy vậy, đối với nước Pháp, đồng bào ta vẫn giữ một thái độ khoan hồng và nhân đạo. Sau cuộc biến động ngày mồng 9 tháng 3, Việt minh đã giúp cho nhiều người Pháp chạy qua biên thùy, lại cứu cho nhiều người Pháp ra khỏi nhà giam Nhật, và bảo vệ tính mạng và tài sản cho họ. Sự thật là từ mùa thu năm 1940, nước ta đã thành thuộc địa của Nhật, chứ không phải thuộc địa của Pháp nữa.

にもかかわらず、フランスに対し、わが同胞達は寛大で人道的な態度を維持してきた。39日の事変のあと、ヴェトミンは多くのフランス人が国境を越えるのを助け、多くのフランス人を日本の監獄から救い、彼らの生命と財産を守ったのである。事実上、1940年の秋から、わが国はフランスの植民地ではなくなったが、日本の植民地と化したのだ。

Khi Nhật hàng Đồng minh thì nhân dân cả nước ta đã nổi dậy giành chính quyền lập nên nước Việt Nam Dân chủ Cộng hòa. Sự thật là dân ta đã lấy lại nước Việt Nam từ tay Nhật, chứ không phải từ tay Pháp. Pháp chạy, Nhật hàng, vua Bảo Đại thoái vị. dân ta đã đánh đổ các xiềng xích thực dân gần một trăm năm nay để gây dựng nên nước Việt Nam độc lập. Dân ta lại đánh đổ chế độ quân chủ mấy mươi thế kỷ mà lập nên chế độ dân chủ cộng hòa.

日本が連合国に降伏すると、わが国の人民は、ヴェトナム民主共和国を建設すべく政権樹立に立ち上がった。事実上、わが民はヴェトナムをフランスの手からではなく、日本の手から奪取したのである。フランスが逃げ、日本が降伏し、バオダイ(Bao Dai)皇帝は退位し、わが民はこの約100年の植民地主義者からの鎖を取り払い、独立したヴェトナムを樹立した。わが民はまた、何十世紀におよぶ君主制を打倒し、民主共和制を打ち立てた。

Bởi thế cho nên, chúng tôi, lâm thời chính phủ của nước Việt Nam mới, đại biểu cho toàn dân Việt Nam, tuyên bố thoát ly hẳn quan hệ thực dân với Pháp, xóa bỏ hết những hiệp ước mà Pháp đã ký về nước Việt Nam, xóa bỏ tất cả mọi đặc quyền của Pháp trên đất nước Việt Nam. Toàn dân Việt Nam, trên dưới một lòng, kiên quyết chống lại âm mưu của bọn thực dân Pháp.

これにより、われわれ新ヴェトナム臨時政府は、ヴェトナム全国民を代表し、フランスとの植民地関係をすべて断ち切り、フランスがヴェトナムについて調印したすべての条約を撤廃し、ヴェトナムにおけるフランスのすべての特権を撤廃することを宣言する。ヴェトナム全国民は心をひとつにし、フランス植民地主義者の陰謀に対し断固として抵抗する。

Chúng tôi tin rằng các nước đồng minh đã công nhận những nguyên tắc dân tộc bình đẳng ở các hội nghị Tê-hê-răng và Cựu-kim-sơn, quyết không thể không công nhận quyền độc lập của dân Việt Nam. Một dân tộc đã gan góc chống ách nô lệ của Pháp hơn tám mươi năm nay, một dân tộc đã gan góc đứng về phe đồng minh chống phát-xít mấy năm nay, dân tộc đó phải được tự do! dân tộc đó phải được độc lập!

われわれは、テヘランおよびサンフランシスコでの会議において民族の平等原則を承認した連合国が、ヴェトナム人民の独立権の承認を拒否することはないと信じている。80年以上にわたりフランスの支配に勇敢に抵抗してきた民族、この数年間のファシストに抵抗し連合国と共に勇敢に闘ってきた民族、このような民族は、自由にならなければならない!このような民族は、独立しなければならない!

Vì những lẽ trên, chúng tôi, Chính phủ lâm thời của nước Việt Nam Dân chủ Cộng hòa, trịnh trọng tuyên bố với thế giới rằng: Nước Việt Nam có quyền hưởng tự do và độc lập, và sự thật đã thành một nước tự do, độc lập. Toàn thể dân tộc Việt Nam quyết đem tất cả tinh thần và lực lượng, tính mạng và của cải để giữ vững quyền tự do, độc lập ấy.

以上の理由から、われわれヴェトナム民主共和国臨時政府は世界に向けて、厳粛に次のように宣言する。ヴェトナムは自由と独立を享受する権利を有し、事実、自由で独立した国家となった。すべてのヴェトナム民族は、精神と力、生命と財産のすべてをもって、この自由と独立の権利を守り抜くと決意する。

HỒ CHÍ MINH

ホー・チ・ミン

(和訳:木村友紀)

参考資料:

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長文でしたが、最後まで読んでいただき感謝いたします。

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