2016年4月9日土曜日

ウェブサイト「kotonoi」をオープンしました


いつも「ヘム日記」をご覧いただき、ありがとうございます。気まぐれ更新にも関わらず、時々覗いてくださっている方々がいらっしゃることに、とても励まされておりました。本日はお知らせなのですが、このたび、かねてから製作に取り組んでいたベトナム語紹介サイト「kotonoi」をオープンする運びとなりました。


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kotonoi ~ きむらゆきのベトナム語工房
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日々の記録だけでなく、これまでも折に触れてヘム日記に掲載してきた「看板のベトナム語」シリーズや、「独立宣言」のような個人的翻訳への取り組みを、一か所により見やすい形で集約したいという気持ちから、ちょっとずつちょっとずつ、亀の歩みのように作業を進めてきたウェブサイトでしたが、ようやく皆さまに公開できるくらいまでには整えることができました。

ウェブサイトづくりは生まれて初めての試みで、ツールを使いこなすのにかなり悪戦苦闘したのですが、ウェブサイト製作に詳しい友人たちのアドバイスをいただきながらなんとかチャレンジすることができました。素人の手作り感満載で、まだまだ改良すべきポイントがたくさんあるのですが、引き続き調整していく予定ですので、温かい目で見ていただけたら幸いです。

「kotonoi」には、「言の意」という意味を込めました。ベトナム語が発するその意味に、これからも丁寧に向き合っていくことができたらと思っています。

このBloggerによるヘム日記は残しつつ、今後はkotonoi内のコンテンツ「〈新〉ヘム日記」に継続して綴っていこうと思っております(2016年3月以降の記事からkotonoiに移行しています)。またふとしたときに、覗いていただければ幸いです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


2016年 木村友紀



2016年2月8日月曜日

バインチュンの元旦


今日はベトナムの、旧暦の元旦。あらためまして、新年おめでとうございます。

お仕事をさせていただいている専門学校では、あるクラスが授業で新年のお祝いをするとのこと。お呼ばれして教室に行ってみると… なんとお正月名物のバインチュン(Bánh chưng)が!

緑豆と豚肉を具材として、もち米でできたこの料理。ベトナム、特に北部でお正月の際に家庭で作られます。最近では日本のおせちと同様に、出来合いのものを外で買ってきて食べることも多いそうですが(蒸す時間が長く、蒸し器も必要で、家庭で作るのはなかなか大がかりだそうで)、一年でこの時期にしか食べることができない、大切な伝統料理。まさか東京で食べられるとは思わず、とっても嬉しかったです。

昨日、今日と、日本にいながらにしてベトナムのお正月をこんなに感じられるとは。私的にかなりハッピーな年始となりました。学生さんの「先生、リーシー(lì xì:お年玉)をください」も、この時期にしか聞くことのできない、楽しい台詞でした(笑)


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2016年2月7日日曜日

越谷で迎えるお正月


今日は2月7日(日)。ベトナムでは旧暦の大晦日という大切な日。

photo by Ibusuki Shoichi

友人たち、そして在日外国人の労働問題を扱っている弁護士さんたちと一緒に、埼玉県越谷市にある南和寺(Chùa Nam Hòa)を訪問してきました。建立10年のこのお寺、ベトナムの尼さんたちによるもので、同地域に暮らすベトナムの人々の拠り所となっているようです。埼玉県出身の私、前からとっても気になっている場所だったのですが、念願叶い、旧正月のタイミングでの訪問が実現しました。


11時から、尼さんによる読経がスタート。当然ながらオールベトナム語です。小さいながらも立派なお堂に、ざっと100人くらいのベトナムの人々が集まっていました。コピーされ、綺麗に製本された冊子を見ながら、お経を追いかけます。ベトナム仏教の素養がないので、なかなか理解できませんでしたが、同じ空間に佇めたことに感謝。


読経の後は、手作りのブン(米麺)(ブンリウだったのかな…精進料理でした)やチェー(ぜんざい)をいただき、お寺の庭で、爆竹や獅子舞を見ました。爆竹をこんなに間近で見たのは初めてかもしれません。ベトナムのお正月の催しには欠かせない要素のようで、皆さん「Hay quá!(すごい~!)」と盛り上がっていました。2人で1頭を操る獅子舞は、鮮やかな赤と黄色の2頭と、土地神様(Ông địa)による本格的なベトナム仕様の演舞で、こちらも大盛り上がり。一瞬、越谷にいるという事実を忘れました。

photo by Ibusuki Shoichi

その後はなんと、ベトナムらしくカラオケ大会! テト(旧正月)の歌で始まった…かと思いきや、だんだんとそれぞれの好きな歌を披露していき、途中には「なごり雪」や「乾杯」など、日本語の歌も。参加者の多くは、日本に暮らして長いベトナムの人々で、日本語もお上手でした。調子に乗って途中からカラオケに加わる我々…(笑) まるでベトナムの結婚式の一幕のようでした。

「終了時間はだいたい15時だけど、自由に帰って大丈夫ですよ」と言ってくれた尼さん。13時頃から本当に徐々に人が減り始め、14時過ぎには大分少なくなっていました。長時間、野外での催しだったので、皆さん寒さが堪えてきたのかもしれません。私たちも14時過ぎにはおいとましました。


束の間でしたが、日本にいながらにしてベトナムの旧正月を堪能できた、非常に有意義な訪問でした。こうして越谷の一角で、ベトナムの人々が自分たちの大切な行事をおこなっていることも知れ、彼らにとっての旧正月の大切さ、集いの大切さを実感しました。代々木公園で開かれるベトナムフェスティバルも悪くないけれど、日本人が抱くベトナムのイメージを集めたような作られたイベントより、今回のような催しのほうが、私はリアルなベトナムを感じられて好きだなぁと思いました。

いよいよ明日8日(月)は元旦。すべての人々にとって、健康で素敵な一年となりますように。

Chúc mừng năm mới!  新年、おめでとうございます!

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【お寺情報】
南和寺/Chùa Nam Hòa
http://www.chuanamhoa.org/

立派なベトナム語のウェブサイトがあります♪
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2016年1月15日金曜日

バラナシへ


トランジットの上海からデリーへ。心配していたインドビザもデリーの空港で難なくクリアし、デリーで1泊した後、翌日にはすぐにガンジス河のあるバラナシへ移動。

空港待機中に食べたドーサ

バラナシの空港では、事前に予約したゲストハウスが手配してくれた送迎車のドライバーさんと待ち合わせ。自分の名前が書かれた、よれっとした紙を持つおじさんの姿を見つけてほっとしました。おじさんに導かれて車に乗るも、当然ながら土地勘が無いので、一体どこへ行くのだろうという若干の不安と、バラナシに来たという喜びと、車窓から眺める初めての土地へのワクワクとがぐちゃっと入り混じった、肩に力の入った約1時間のドライブ。車窓からの景色は、どこかベトナムやカンボジアの田舎を感じさせました。

バラナシの街角

人と物が溢れる、ゴミゴミとした繁華街で降ろされると、ホテルの従業員さんが迎えに来てくれていました。が、やはりどこへ連れていかれるのかよくわからぬまま、複雑に入り組んだ路地を颯爽と歩く従業員さんの後をついて行きます。従業員さんと、そして友人とはぐれないように気を付けながら、無我夢中でを歩くこと10分程度。この10分はとっても長く感じられて、背中のバックパックの重さも忘れるほどでした。

入り組んだ路地の一角

たどり着いたのは、予定通りのゲストハウス。東京に9年暮らしていて日本語が堪能なインド人オーナーさんのゲストハウスで、質素ながらもとても居心地のよいところでした。ここに泊まれたのが今回の旅の大きな勝因で、後にオーナーさんよりいろいろな旅情報を教えてもらえるのでした。

ゲストハウス周辺

ガンジス河まで徒歩5分程度のエリアにあるゲストハウス。迷路のような細い路地のあちこちに、商店や食堂が所狭しと並んでいます。カメラをぶら下げて散策しつつ、少しずつ土地勘をつけていきます。しかし、路地裏散歩ってなんでこんなに楽しいのでしょう。

夕飯に食べたベジタリアンカレー、奥はビリヤニ

オーナーさんにおすすめしてもらった近くのベジタリアンレストンランで、夕飯で本場のインドカレーをいただきました。これがとっても美味しくて、美味しくて。毎日カレーで飽きちゃうかなぁ?という心配は一気に吹き飛びました。

翌日はいよいよガンジス河を堪能しに行きます。


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2016年1月13日水曜日

トランジット上海、街歩き


寒くてたまらない今日この頃の東京。いよいよ本格的に寒さ到来。なるべく冷暖房には頼らずに丈夫な体を作りたい私ですが、ついに自室の暖房をポチっとしてしまいました…。

さて、あいかわらずスローペースな更新ですが、インド旅。

の前に、22時間滞在した上海の様子をちらり。前述の通り予約していたホテルになかなか辿り着けないというプチハプニングがあったため、思いのほか時間がなくなってしまったのですが、それでも着いた日とその翌日、ホテル周辺をブラブラ歩いてみました。


当たり前ですが、漢字漢字漢字…!こう漢字だけが並ぶと圧巻です。これまでもトランジットでは何度も上海には行ったのですが、今回ほど漢字の力強さを感じたのは初めて。私が最近中国語に注目しているので、情報をキャッチしているのかもしれませんが…(実は本気で中国語を勉強しようかと思っているこの頃なのです。ベトナム語のルーツとして、色々探りたく)。


こんな漢字の並びも、見ていてとっても楽しかったです。ああ、きっと「小心」が注意!という意味なんだろうなぁと、想像が膨らみます。


22時にはメインタワーが消灯してしまった外灘でしたが、高層ビル群の夜景はちゃっかり堪能してきました。観光客や地元の人でとっても賑わっていました。


翌朝は、空港に行く時間までやはり街歩き&食べ歩き。古いアパートと街路樹は、私のなかでパッと思い浮かぶ上海の特徴的な一場面。


高層ビルが並ぶ一方で、こうして出会えるいくつもの路地。ベトナム・ハノイの旧市街を彷彿とさせます。


朝ごはんにと立ち寄った屋台。ナンをうす~くしたような生地に、お肉や海藻っぽいものを入れて巻いたもの。名前もわからないけれど(そして写真も撮り忘れたけれど)、とっても美味しく満足でした。ここでもやっぱりベトナムのバインミーを想い出してしまう私。


屋台のおじさん。英語は全然通じなかったけど、身振り手振りでやさしく会話してくれました。


床屋さんのポールが白黒で、ちょっと驚いたり、


街角の古本屋さんが気になったり。


そんでもって、なんと文房具屋さんにはベトナムでもよく見られる手作りの飛び出すカードが!これは中国の影響だったの?!、はたまはベトナムからの輸入品?! 謎は解けませんでしたが、前者かなぁと思いつつ、私的大発見でした。


コーヒースタンドで注文したアメリカンが、英語の下に「美式珈琲」と書いてあり、やっぱりアメリカは「美」なんだ!というのも初めて目で確認でき、中国語熱がフツフツ…(ベトナム語でも中国の影響でアメリカをMỹ(美)と言うのです)。

わずかな上海滞在でしたが、色々と面白いものに出会えました。トランジットではなくまたゆっくり来たいなぁと思いながら、いよいよ、デリーへ向けて出発です。


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2016年1月3日日曜日

インドへ!



年末年始を利用してインドに行ってまいりました。

念願の、憧れのインド。いつか一度は行ってみたかった。まわりに行ってきた人も多かったので、話はよく聞いていて、でも感想は本当に十人十色。私のなかでなんとなくイメージができつつも、それはふわふわしていて固まらず。変に固まってしまう前に、自分の目で見てみたい…という長年の願いが、ようやく叶いました。

私にとって旅は「確かめるもの」かもしれないという考えが、ここ数年生まれていました。メディアでよく聞く、友人たちから聞く、ある土地の、ある人々… それらが本当に存在することを確かめる。自分がどう感じるかを確かめる。インドのことも、確かめたくてしょうがなくなってきていた頃でした。

よいタイミングで一緒に行きたいと言ってくれた友人がいて、これはもう、まさに行き時!ベトナムにいた頃に行った方が明らかに近かったですが(笑)、今だから行けたのだと思います。友人には本当に感謝。


中国東方航空で、羽田発、上海経由でデリーへ。

当日、羽田は別便の欠航でチェックインに大行列。22時間トランジットの上海では、前もって予約していたホテルの地図(Google Map)がまさかの間違いでなかなか辿りつけないというハプニングもあり(人に聞きまくり、2時間近く歩き回りました…)。やっとの思いで到着したホテルではレセプションで急にデポジットを要求されたり、なんとか夜景を見に行こうと出かけた外灘では、到着寸前でメインタワーが消灯したり(22時消灯だったみたい)。デリーに着くまでに予想外の出来事が続出しましたが、この「うまくいかない感」がなんとも楽しい、妙な高揚感を伴う出だしでした。


記憶が新鮮なうちに、インド旅の備忘録、綴ってみたいと思います。


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2015年11月2日月曜日

【お知らせ】今年も「となりの暦」ができました!



昨年ご好評をいただいた、世界にひとつだけのカレンダー「となりの暦」が、今年も販売決定となりました。これは、私もメンバーである、NPO法人ARBA(The Alternative Relations in Asia)によるカレンダーで、ARBAの活動地であるベトナム、カンボジア、そして日本の3つの国の写真と言葉が使われています。それぞれの国の祝日が3言語併記で記載され、会員の撮影による写真では、その土地ごとの素朴な日常風景が切り取られています。

ありそうで実はなかった3国をつなぐカレンダー。限定100部の販売で、売上はARBAの支援活動に当てさせていただきます。特設サイトもご用意していますので、ご興味のある方はどうぞお早目にご予約ください。※11月1日より予約開始しております。

となりの国を、あなたのとなりに。皆さまにお届けできるのを、楽しみにしています。
http://arba.asia/koyomi/


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2015年11月1日日曜日

『Tanpopo』の字幕製作に携わりました


もう、今年の3月頃の話になってしまいますが… きちんと書いていなかったので、あらためて記録しておこうと思います。

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田中幸城監督(高崎経済大学)の自主製作映画『Tanpopo』のベトナム語字幕を、Vu Thi Thu Hongさんとの共訳で製作しました。上記フライヤーも、日本語版からベトナム語に翻訳しています。



映画は群馬県高崎市とベトナムダナン市を舞台に、現在と将来に悩む日本人大学生たちが、ダナンに暮らす人々との出会いや交流を通して成長していく物語です。2014年に映画が完成し、主に高崎市にて上映していたという本作品ですが、「お世話になった現地の人たちにもぜひ観てほしい」という田中監督の願いのもと、台詞を翻訳してベトナム語字幕をつけることになりました。2015年3月に、映画製作チームの皆さんはダナンに渡り、無事に現地での上映を叶え、その盛況ぶりを伝えてくれました。ダナン上映をもって、一旦このプロジェクトは終わるということでしたが、今後もその時々の状況に応じて、どこかしたで上映を続けていきたいということ。残念ながらDVDは販売されてはいないのですが、私も記念に一枚いただいています。もし観たい方がいらっしゃれば、お貸しできる方に限られてはしまうのですが、個人的にお声掛けいただければと思います。

さて次はどの街で上映してくれるのでしょう…私もとても楽しみにしています。素敵な綿毛が、これからもあちこちに飛んでいきますように。

映画『Tanpopo』の詳細はこちら


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2015年10月25日日曜日

映画『あん』


10月25日(日)、上中里のアートスペースChupki(チュプキ)さんにて、映画『あん』を観てきました。映画三昧な週末。最近映画(特に邦画)をよく観に行ってしまうのは、単純にそういう環境が久しぶりでうれしいのと(ベトナムで邦画は観られなかったので)、身近に楽しい映画仲間たちができたのと(ひとりで観るのも好きだけど、誰かと記憶を共有できるのもいいな)、若干の現実逃避と(本当に若干か?)、その他、いろいろ。


『あん』は、映画館で予告編を観てから気になっていた作品。大きな映画館で観るのを逃してしまっていたので、いつかDVDででも観たいなぁ…なんて思っていたら、ある日、よく利用する上中里駅の近くにC立て看板があるのに気づいて、参加することにしたのでした。娯楽施設の少ない上中里で映画が観られることに感動したのも、参加の理由でした(笑)

会場であるChupkiさんは、毎月4回、その月のおすすめの映画を紹介している小さなアートスペースだそう。視覚に障がいのある人にも映画を楽しめるようにと、独自の音声ガイドの製作や、字幕朗読などのサポートをしていて、この日も音声ガイドが聴けるよう、全員にラジオを配ってくれました。実際に当日の10名ほどのお客さんのなかには、目の不自由な方もいらっしゃっていて、音声で楽しんでいました。

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●Chupkiさんのサイト
http://chupki.petit.cc/

●映画『あん』のサイト
http://an-movie.com/
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さて、その『あん』(以下ネタバレを含みます)。

小さなどら焼き屋を営む主人公・千太郎のもとに、ある桜が満開な日にやってきた老人・徳江。ここでアルバイトがしたいと言う。はじめは邪険に扱う千太郎だったが、徳江の持参した「あん」の美味しさに驚き、あん作りを依頼、二人の協働が始まる。どら焼き屋に通う悩める中学生のワカナも含め、三人の登場人物の心の交流が始まる… 簡単に紹介すると、そんなお話です。徳江がハンセン病患者であることが発覚し、雇い主として悩む千太郎、心ない言葉をかけるオーナー、自然と足が遠のくお客さん、それでも通い続けるワカナ、そして姿を見せなくなる徳江…。少ない登場人物たちの穏やかに静かに悩み続ける心の様子が、四季の移り変わりの美しい情景とともに、とても丁寧に描かれてゆきます。

映画の素敵なところをあげるとキリがなく、「もう、ぜひ観てください」というしかないのですが、ひとつだけ紹介するとしたら、物語の終盤に出てくる徳江さんの言葉。

「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきたの。だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ、店長さん」

後日、一緒に映画を観た友人とも、「ここの台詞が本当によかった」という話をしました。私たちはつい日々の生活なかで、人の役に立つことや社会に貢献できることに美徳を感じて、自分もそういう人間になりたいという風に思ってしまうようになっています。でもそれは逆に、人の役に立てなかったり、社会に貢献できなければ、自分には価値がないと認めてしまうことでもあって・・・。そんなことはないはずだと、私たちにはひとりひとり、存在するだけで価値があるはずで、ただ、ここに居るだけでいいんだよ、それだけで素晴らしいことなんだよと、徳江さんの言葉に励まされたのが、この映画を観て一番印象的なことでした。そしてハンセン病という重厚なテーマを扱いながらも、それが悲観的にだけ描かれていない点が、この『あん』という映画の美しさだとも思いました。


観賞後は、Chupkiのスタッフさんが作ってくださったどら焼きをいただきました。映画のパンフレットに出てくるレシピを使って再現したというこのどら焼き、本当に美味しくて、作った人のあたたかさを感じるような味でした。いただきながら、会場に居合わせた10名ほどの皆さんと映画の感想を交換。それぞれに沁み入ったポイントがあって、自分とは違った観方があって、そういう話をシェアできたのもよかったなと思いました。私は音声ガイドを、途中ちらっと聞く程度にしか利用しなかったのですが、ずっと音声ガイドで映画を観ていたお客さんの感想で、映像だけではわからなかった言葉の情報が入っていたことを知ったり(どら焼きの生地を焼くための特別なお玉を「どら匙」ということとか)、その方が私が通り過ぎてしまった台詞を細部にわたって覚えていたり、そんな発見もありました。

Chupkiのスタッフさんから聞いた話によれば、監督の河瀬直美さんはリアリティーを重視する人で、映画をストーリー通りの撮影をするために、本当に一年かけて四季の情景を追いかけたり、俳優陣に近くのアパートに泊ってもらって、実際に毎朝どら焼き屋のセットにまで通ってもらったり、千太郎役の俳優・永瀬さんに、レジからお金を取って昼食を買ってもらったり… 様々な工夫をしだそうです。でもそれらの工夫があって、あの映画の丁寧な雰囲気が出来上がっているんだろうな、というのは本当に納得でした。

上中里での上映は10月で終わってしまいましたが、渋谷の「シアター・イメージフォーラム」ではもう少しの間やっているようです。もう、ぜひ観てください。

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2015年10月24日土曜日

映画『ベトナムの風に吹かれて』


Thứ bảy, mình đã đi Rạp chiếu phim Yurakucho-Subaruza để xem một bộ phim Nhật được quay tại Hà Nội, tên là "Hòa cùng làn gió Việt". Mặc dù chủ đề của phim này là suy giảm trí nhớ của người cao tuổi, nhưng nhờ không khí và môi trường tại Hà Nội với những người hàng xóm, cuộc sống của hai mẹ con người Nhật này có vẻ vui vẻ, hiền hòa.


土曜日、有楽町スバル座にて上映中の『ベトナムの風に吹かれて』を観てきました。

本当は、ホーチミンで知り合い東京在住の友人達と3人で観に行く予定だったのですが、私以外の2人が電車の人身事故で足止めを食らい、相談の結果今日はひとりで観よう、ということになりました(笑) そんな日もありますね。

小松みゆきさんの実話をもとにしたハノイを舞台にし作品。認知症をかかえるお母さんとみゆきさんと、おふたりを取り巻く人たちとのあたたかな日々が描かれています。原作(みゆきさんの手記)は未読なので、映画ではどこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションなのか、まだちゃんとわかっていない部分もあるのですが、映画では認知症というテーマを、ときに軽やかに、ときに重厚に、ちょうどいい塩梅で描いていたように感じました。迷子になったお母さんをセオムのおじさんが日系のホテルまで連れてくるエピソードが、ベトナムを感じさせてよかったです。松坂慶子さんの話すベトナム語はとても素敵で愛おしく、草村礼子さんの演技には鳥肌が立ちました。(そしてごめんなさいですが、吉川晃司さんのシーンだけはどうして必要だったのかが謎でした…)

上映している映画館がとても少ないのですが、スバル座では11月6日(金)までだそうです。ご興味ある方はお見逃しなく。

ちなみにベトナムでも公開されたこの映画、タイトルは"Hòa cùng làn gió Việt"となっているようです。日本映画がベトナムで公開されるのは本当に珍しいこと。今後増えていったらうれしいな、と思っています。

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●映画『ベトナムの風に吹かれて』公式サイト
http://vietnamnokaze.com/

●VTV放送局による紹介記事
http://vtv.vn/van-hoa-giai-tri/chuyen-nhung-tam-hon-nhat-hoa-cung-lan-gio-viet-20150820110443217.htm

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2015年10月21日水曜日

自主勉強会、はじまる


Thứ tư, mình đã đến trường đại học Hitotsubashi ở thành phố Kunitachi, Tokyo để gặp một giáo sư đã/đang nghiên cứu về các từ ngữ tiếng Việt và phương pháp giảng dạy tiếng Việt cho người Nhật trong một thời gian khá là lâu.


先輩であるベトナム語講師のEさんと一緒に、一橋大学のある研究室を訪問してきました。ここにはベトナム語研究者のG教授がいて、今年5月に講演会でEさんと共にお会いしてから、「3人でベトナム語自習勉強会をやりましょう」という話をしていて、それから満を持しての訪問となりました。

この日はベトナム語教授についての疑問点や悩みをお互いに打ち明け、勉強会の方向性を話し合い、気づいたらあっという間に時が経っていました。G教授の研究室にはベトナム語の辞書が溢れていて、不明な単語があるとすぐに「こっちではこう書いてあるけど、こっちではこうですねぇ」と辞書を開き出す教授の姿に、長年おひとりでベトナム語に取り組んできた、その誠実さと実直さを垣間見ました。

宿題をひとついただき、次回の勉強会までにそれに取り組みます。楽しみが、続きます。


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2015年10月17日土曜日

ルーマニア料理の夕べ


Thứ bảy, sau khi làm việc xong, mình qua nhà bạn chơi. Bạn ấy là một người giỏi nấu ăn, ngày đó thì nấu hai món ăn Romania cho mình. Ngon lắm, vui lắm.


最近引越しをしたご友人が、新居に呼んでくれました。外国暮らしが長く、料理好きでもあるご友人、今宵は私のために前日から煮込んでくれた(ありがたいです…涙)というルーマニアのロールキャベツと、ヨーグルトベースで酸味の効いた野菜スープを出してくれました。これがどちらもほんと~に美味しくて、美味しくて、ロールキャベツを5つ、スープを2杯をペロリとたいらげる私でした(笑) 料理好きな理由を「自分が美味しいものを食べたいから」と話すご友人の姿が、とても素敵でした。

ルーマニアやその他の国の音楽を聴きながら、久しぶりの再会で、おしゃべりに花が咲き。最近ベトナムの中部に旅行に行ってきたご友人のお土産話もとてもおもしろく、私もまたフエやホイアンに行きたくなってしまいました。

私が最近ちょっと怒ってしまった話をしたときに、「私たちには笑う権利があるように、怒る権利もあるんだから、いいの」と言ってくれたご友人のあたたかさが、美味しい料理とあいまって、体に染みました。誰かが自分のために作ってくれたご飯が、こんなに美味しいということを、久しぶりに感じた夕べ。Rさん、ありがとう。

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2015年9月10日木曜日

物想いふたたび


ホーチミン市内の好きなカフェ、Bang khuang cafe(バンコアンカフェ)へ。変わらない店内、ランチ。スタッフも変わっておらず、私を覚えていてくれて、嬉しかった。

以前こちらにカフェレポを書きました↓
http://nhatkytronghem.blogspot.com/2013/11/blog-post_22.html

私が勝手に「物想いカフェ」と呼ぶこちら、そこへ行ってしまったせいか何なのか、気持ちがふわふわしております。帰国が近いからでしょうか。久しぶりに「外国人」になったからでしょうか。単に人恋しいのでしょうか。

Bang khuangの名にふさわしく、ふわふわ。ふらふら。


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2015年9月8日火曜日

きょうのベトナム語~「エコ・プロダクト」


Sản phẩm xanh

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sản phẩm…製品
xanh…緑(場合によっては青)
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翻訳中の資料に出てきた単語。直訳は「緑の製品」で、英語の「green product」から訳してできた単語ではないかと思われます。日本語としては、「環境にやさしい製品」「エコ・プロダクト」などとするのがいいかな。

ベトナムでもエコは最近よく耳にする分野。エコがらみではxanh(緑)というキーワードの他に、thân thiện với môi trường=「環境に対して友好的である」=「環境にやさしい」もよく見かけるようになりました。

備忘録的な、きょうのベトナム語。


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2015年9月7日月曜日

そのめがね、何度?


カフェの店員さん、バスの車掌さん、バイクタクシーの運転手さんなど、たまたまその場に居合わせる人々。東京だったら非常にシステマティックに作業が進められ、会話もほとんどせずにいる人々ですが、ここサイゴンではそうもいかず。

出会いがしらに国籍を聞かれ、年齢を聞かれ、既婚か独身かを聞かれ、家族構成を聞かれ、ベトナム滞在年数を聞かれ… 初対面の人に質問されて答える情報量が日本のそれとは異なり圧倒的に多いことにはもうすっかり慣れましたが、今回の滞在中によく聞かれ、若干困惑してしまう新手の質問。それは、

「そのめがね、何度?」

ド近眼ですみませんねー!とひとり苦笑。確かに私は目が悪いのです。めがねは小4から顔の一部だし(思春期~大学卒業まではコンタクトに浮気)、レンズ越しには顔の輪郭がはっきり歪んでしまうので、度数が強いことも一目瞭然。しかしベトナムと日本ではレンズや視力の測量方法が全く違うらしく、

「マイナス9度くらい」

と答えると

「はあ?」

と言われ(マイナス、という数え方はしないらしい)

「あ、視力はもう0.01ない」

と答えても

「はぁ?!」

と言われ(これは単に驚かれているのかも?)

こんな感じで話がうまく通じないので、これはきっとはかり方が違うみたいだね、という結論に落ち着く、という…。

めがねを指摘されることは、嬉しくもなければ悲しくもないけれど、すっかりコンタクトを受け付けなくなってしまっためがね人の自分の目の度数を、ベトナム基準でも知っておかなければというへんてこな義務感に駆られる、そんな日々。

平和です。


写真はよくいく団地の下のカフェにて。いつものおばちゃんが、「おばあちゃん」業を楽しんでいました。


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2015年9月6日日曜日

南北統一鉄道体験


日曜日の今日は、日本から来ている研修グループの皆さんと一緒に南北統一鉄道の乗車体験をしてきました。南のサイゴン駅から北のハノイ駅まで、約1800kmを縦断する列車。今回はわずか40分の、サイゴン駅からお隣ビエンホア駅(ドンナイ省)までの乗車でしたが、車窓からの風景と、生活感たっぷりの車内の風景を味わってきました。


サイゴン駅ホームの様子。9時発のSE6という列車に乗りました。ビエンホア駅までのチケットは31000ドン(現在のレートで約170円)。念のためチケットは前々日に買っておきましたが、正解。車内はほぼ満席でした。ちなみに規定が変わったようで、チケット購入時には氏名とパスポート番号が必要になりました(昨年までは必要なかったのですが)。これらの情報はチケットにもちゃんと印字され、乗車時にチェックされるようになっています。


こちらは私たちが乗った車両の様子。今回は一区間の移動体験ということで、一番ランクの低い「ハードシート」タイプを選びました。木でできた、まさに「硬い椅子」(笑) 他にはリクライニング付の「ソフトシート」、寝台車両である「3段ベッド」と「2段ベッド」タイプがあり、それぞれに価格が異なります。

この列車は長距離移動に使われるため、私たちのようにサイゴン駅で乗ってビエンホア駅で降りる人はほとんどいません。お客さんは皆さん大きな荷物を抱えて乗車しますし、ホームには見送りの家族や友人たちで溢れんばかりです。皆さん、どこへ行くのかなぁ…。


こちらは車窓からの様子。ホーチミン市中心部を抜けると、景色がガラッと変わります。私は過去に一度だけ、約35時間かけて列車でハノイまで行きましたが、縦断中はこうした農村風景が大部分を占めていました。つくづく、ホーチミンは特殊な都市なのだと実感します。

車窓からの景色も楽しいのですが、もっと楽しいのは車内の様子。長距離移動にそなえ、ゴザや枕を持ちこんでそれらを床に敷き、寝そべる人多数。食堂車もあれば車内販売もあり、ここで何十時間も過ごす人々の生活感がたっぷりなのです。


約40分間の走行を経て、ビエンホア駅に到着。ここから乗りこむお客さんが多く、車内へと押し寄せる人々の波をかき分けて降りるのに一苦労な私たちでした。降車後しばらくホームで様子を見ていましたが、やはり見送りの人々が多く、中には涙ぐむ女性の姿も見られました。遠くに行ってしまう親戚や友人とのお別れの場面なのだろうと想像し、この国の南北の長さ、国土だけでなく精神的な長さ(遠さ)をあらためて感じました。


ビエンホア駅の外に出ると、こんな感じでゴザがたくさん売られていることに驚きました。長距離移動に必須のアイテムなんだな、と。「10」と書いてあるのは「10000ドン」の意味で(下3けたが省略さています)、一枚約55円。ほぼ使い捨てなのかな… 実際にこれを買って列車に乗り込むお客さんも多いのだろうと、車内の様子から伺えます。

このあとはタクシーに乗り換え、先日行ってきたお馴染みのカトリック教会に、グループの皆さんを案内しました。神父さんに、ベトナムにおけるカトリックの立場のこと、そしてドンナイ省という土地のことなどをじっくり説明してもらいました。工業地帯として発展し、仕事を求めて全国から人が集まって来ているドンナイ省。グループの皆さんにとって、ホーチミンという大都会の暮らしとの違いを感じることのできる機会になったのではと思います。


ところで、やっぱり列車はいいなぁと、ひとりどこかへ行ってしまいたい気持ちになった私でした。

ど~こ~かと~おくへ~ゆ~きた~い


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2015年9月3日木曜日

早朝散歩、きれいな空


僭越ながら(実はかなりドキドキしながら)前記事で掲載した『独立宣言』(拙訳)、多くの方に読んでいただけたようで大変うれしく思っています。興味を持っていただいた皆様、本当にありがとうございました。翻訳者として駆け出しの私ですが、これからも精進していこうと背筋が伸びました(猫背に拍車がかかっているので本当に伸ばしているこの頃、笑)。

ベトナムを独自の切り口で紹介するおもしろサイトの「べとまる」さんにも、この度ちらりとご紹介していただきました。ありがとうございました!
http://www.vietmaru.com/archives/46145123.html


さて、その独立記念の日であるその9月2日。ホーチミン在住で長いお付き合いになる日本人の友人Cちゃんと一緒に、早朝散歩に行くことになりました。めずらしく5時起きし、眠い目をこすりながらカーテンを開けると、なんと素敵な朝焼けが…!


ダッシュで着替えてフロントのお兄さんをたたき起してシャッターを開けてもらい(お兄さんごめん)、ホテルの外に出ました。朝からこんな景色が見られるなんてラッキーだなぁ、いいことがあるかなぁ…なんて見とれながらバシバシ写真を撮っていたら、同じく早朝散歩らしい通りすがりの地元のおじさんに「スマホ危ないぞ」と注意されました。知らない小娘だろうが、外国人だろうが、こうして注意してくれるのです。こういうところが好きなんだよ…と目頭を熱くしつつ、空があまりにきれいでお構いなしに写真を撮り続ける私でした(笑)


火みたいだよなぁと思って眺めていて、ある友人に写真を送ったら「水みたいだね」と言われました。逆…!と、人の感性の違いになんだかウキウキしました。


Cちゃんと合流して、1区Nguyen Hue通りにやってきました。中央部分が広い歩行者天国となったこの通り、特に祝日だからかもしれませんが、ランニングや体操する人々で賑わっていました。ところどころベンチもあって、腰かけておしゃべりに花を咲かせる人たちも。あるベンチから聞こえる元気な声のおばちゃんたちのベトナム語に聞き耳を立てたら、「あの店は美味しいのよ~~~」と情報交換をしていて、井戸端会議はどの国でも一緒だよねと微笑ましくなりました。CちゃんとNguyen Hue通りをゆっくり歩きながら2往復したら、人民市庁舎側でイベントのリハーサルらしきものが始まりました。私は見られなかったのですが、このあと日中に独立記念を祝うイベントがあったそうです。赤いアオザイの女性と、青いアオザイの男性の艶やかなコントラストがよかったです。


帰り途、Cちゃんと朝食を。最近できたらしいお洒落なカフェで、バインミーとコーヒーのセット(5万ドン=約274円)を食べました。美味。

Cちゃんは、実は私がベトナムに留学する前からの知り合いで、留学にあたってちょっとだけベトナム語を学んでいた池袋のランゲージスクールの、クラスメイト。私が留学した1年後に「私も行きます」と、同じくホーチミンに語学留学にやってきたCちゃん。年齢的にも立場的にも近い存在で、ホーチミン暮らしで彼女に精神的に助けてもらったことが何度も何度もありました。私が昨年、先に帰国をしましたが、現在も仕事をしながらホーチミン暮らしを続けるCちゃん。SNS嫌いで主義を貫くCちゃんの近況は、こうやって会って話さないとわかりませんが(笑)、でも本来はこうやって直接会って、人との付き合いって続いていくものだよなぁなんて思いました。SNSのおかげで遠くにいる、滅多に会えない人の近況も知れて、繋がっていられるようになって、それはとても素晴らしいことですが、同時にごくたまにでも、こうして大事な人には会い続けていけたらな、と。Cちゃんとは現在は住む場所が変わり、お互いに会える頻度は少なくなりましたが、不思議と「きっとまた必ず会えるだろう」という感覚を持ち続けられます。そういう友人って、貴重だなぁと感じた朝でした。


私も私で、どこにいても元気に過ごそうと、猫のように丸まった背中を、あらためてしゃんとさせています。

From Hem

2015年9月1日火曜日

国慶節にむけて―『独立宣言』(拙訳)


明日9月2日は、ベトナムがフランスおよび日本からの独立を宣言した日。ベトナムではQuốc Khánh(国慶節)として、国の祝日になっています。1945年の独立宣言から今年で70周年。節目の年でもあり、ハノイ市内では大きな式典が、ホーチミン市内でも華やかなイベントが開かれると聞いています。少し前から、街も国慶節仕様。あちこちで看板が見られたり、タクシーの上に国旗が掲げられていたり。


私は毎年、この日は故ホー・チ・ミン主席の独立宣言を読んだり、音声を聴いたりしてきたのですが、今年は思いきってその独立宣言を和訳してみました。すでに書籍やネット上にも和訳が存在するこの宣言ですが、ところどころそれらを参考にさせていただきながら、自分なりに全文を見直してみました。日本語としてより良い表現もたくさんあると思います。個人の試訳ですので、読んでみて何かお気づきの方がいましたら、率直なご意見やご感想をいただけるととてもうれしいです。

以下、少々長いですが、始まります↓

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※ホー・チ・ミン主席の肉声はこちらから聴けます。聴きながら読んでいただけると良いと思います。

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Hỡi đồng bào cả nước,

国じゅうの同胞達よ

"Tất cả mọi người đều sinh ra có quyền bình đẳng. tạo hóa cho họ những quyền không ai có thể xâm phạm được; trong những quyền ấy, có quyền được sống, quyền tự do và quyền mưu cầu hạnh phúc".

「すべての人間はみな、平等権を有して生まれる。創造者は彼らに、誰にも侵すことのできない複数の権利を与える。その複数の権利のなかには、生きる権利、自由の権利、幸福を追求する権利がある」

Lời bất hủ ấy ở trong bản Tuyên ngôn độc lập năm 1776 của nước Mỹ. Suy rộng ra, câu ấy có ý nghĩa là: tất cả các dân tộc trên thế giới đều sinh ra bình đẳng; dân tộc nào cũng có quyền sống, quyền sung sướng và quyền tự do.

この不朽の文言は、アメリカの1776年独立宣言のなかに存在する。考えを広げれば、先の文は次の意味となる。世界じゅうのすべての民族はみな平等に生まれ、いずれの民族も生きる権利、幸福になる権利、自由である権利を有する。

Bản tuyên ngôn nhân quyền và dân quyền của cách mạng Pháp năm 1791 cũng nói: "Người ta sinh ra tự do và bình đẳng về quyền lợi, và phải luôn luôn được tự do và bình đẳng về quyền lợi". Đó là những lẽ phải không ai chối cãi được.

1791年のフランス革命における人間と市民の権利の宣言も、次のように言う。「人々は権利について自由かつ平等に生まれ、権利について常に自由かつ平等でなければならない」。これは誰にも否定することのできない道理である。

Thế mà hơn tám mươi năm nay, bọn thực dân Pháp lợi dụng lá cờ tự do, bình đẳng, bác ái, đến cướp đất nước ta, áp bức đồng bào ta. hành động của chúng trái hẳn với nhân đạo và chính nghĩa.

にもかかわらず、この80年以上の間、フランス植民地主義者達は、自由、平等、博愛の旗を利用し、わが国を奪い、わが同胞を弾圧してきた。彼らの行動は、人道や正義と全く相反するものである。

Về chính trị, chúng tuyệt đối không cho nhân dân ta một chút tự do dân chủ nào. Chúng thi hành những luật pháp dã man.Chúng lập ba chế độ khác nhau ở trung, nam, bắc để ngăn cản việc thống nhất nước nhà của ta, để ngăn cản dân tộc ta đoàn kết. Chúng lập ra nhà tù nhiều hơn trường học. Chúng thẳng tay chém giết những người yêu nước thương nòi của ta. Chúng tắm các cuộc khởi nghĩa của ta trong những bể máu. Chúng ràng buộc dư luận, thi hành chính sách ngu dân. Chúng dùng thuốc phiện, rượu cồn để làm cho nòi giống ta suy nhược.

政治については、彼らはわが人民に、民主主義的自由を決して与えようとしなかった。彼らは複数の凶悪な法律を施行した。彼らは中部、南部、北部で異なる三つの制度をつくり、わが国家が統一するのを妨害し、わが民族が団結するのを妨害した。彼らは学校以上に多くの監獄を建設した。彼らはわが国を愛しわが種族を愛する者たちの殺害を強行した。彼らはわれわれの蜂起を血の海に沈めた。彼らは世論を縛り、愚民政策を施行した。彼らはアヘンとアルコールを用い、わが種族を弱体化させた。

Về kinh tế, chúng bóc lột dân ta đến tận xương tủy, khiến cho dân ta nghèo nàn, thiếu thốn, nước ta xơ xác, tiêu điều. Chúng cướp không ruộng đất, hầm mỏ, nguyên liệu. Chúng giữ độc quyền in giấy bạc, xuất cảng và nhập cảng. Chúng đặt ra hàng trăm thứ thuế vô lý, làm cho dân ta, nhất là dân cày và dân buôn, trở nên bần cùng. Chúng không cho các nhà tư sản ta ngóc đầu lên. Chúng bóc lột công nhân ta một cách vô cùng tàn nhẫn.

経済については、彼らはわが民を骨の髄まで搾取し、わが民を貧しく、不足した状態にし、わが国を粗悪にし、荒廃させた。彼らは田畑を、鉱山を、資源を奪った。彼らは紙幣の発行や輸出入の権利を独占した。彼らはいくつのも不当な租税を作り、わが民を、とりわけ農民と商人を貧困へと追いやった。彼らはわが資本家達の繁栄を許さなかった。彼らは非常に残忍な方法で、わが労働者達を搾取した。

Mùa thu năm 1940, phát-xít Nhật đến xâm lăng Đông - dương để mở thêm căn cứ đánh đồng minh, thì bọn thực dân Pháp quỳ gối đầu hàng, mở cửa nước ta rước Nhật. Từ đó dân ta chịu hai tầng xiềng xích: Pháp và Nhật. Từ đó dân ta càng cực khổ, nghèo nàn. kết quả là cuối năm ngoái sang đầu năm nay, từ Quảng trị đến Bắc kỳ hơn hai triệu đồng bào ta bị chết đói.

1940年秋、日本のファシストが連合国を倒すための基地を増やすべく、インドシナ半島を侵略しにやって来ると、フランス植民地主義者達はひざまずき、扉を開いてわが国に日本を迎え入れた。そのときから、わが民はフランスと日本の二重の鎖に縛られた。そのときから、わが民はより苦難を抱え、より貧しくなり、その結果、昨年末から今年初めにかけて、クアンチ(Quang Tri)から北部において200万人以上の同胞が餓死した。

Ngày 9 tháng 3 năm nay, Nhật tước khí giới của quân đội Pháp. Bọn thực dân Pháp hoặc bỏ chạy hoặc đầu hàng. Thế là chẳng những chúng không "bảo hộ" được ta, trái lại, trong 5 năm, chúng dã man bán nước ta hai lần cho Nhật. Trước ngày mồng 9 tháng 3, biết bao lần Việt minh đã kêu gọi người Pháp liên minh để chống Nhật. Bọn thực dân Pháp đã không đáp ứng, lại thẳng tay khủng bố Việt minh hơn nữa. Thậm chí đến khi thua chạy, chúng còn nhẫn tâm giết nốt số đông tù chính trị ở Yên bái và Cao bằng.

今年39日、日本はフランス軍を武装解除した。フランス植民地主義者達は、ある者は逃亡し、ある者は降伏した。彼らはわれわれを「保護」するどころか、反対に5年間で2度もわれわれを日本に売ったのである。39日以前、ヴェトミン(Viet Minh:ヴェトナム独立同盟)は何度もフランス人に、同盟を組んで日本に対抗しようと呼びかけた。フランス植民地主義者達はこれに応じず、ヴェトミンへの迫害をより一層強行した。彼らは逃亡する前、インバイ(Yen Bai)やカオバン(Cao Bang)の多くの政治犯を虐殺しさえしたのである。

Tuy vậy, đối với nước Pháp, đồng bào ta vẫn giữ một thái độ khoan hồng và nhân đạo. Sau cuộc biến động ngày mồng 9 tháng 3, Việt minh đã giúp cho nhiều người Pháp chạy qua biên thùy, lại cứu cho nhiều người Pháp ra khỏi nhà giam Nhật, và bảo vệ tính mạng và tài sản cho họ. Sự thật là từ mùa thu năm 1940, nước ta đã thành thuộc địa của Nhật, chứ không phải thuộc địa của Pháp nữa.

にもかかわらず、フランスに対し、わが同胞達は寛大で人道的な態度を維持してきた。39日の事変のあと、ヴェトミンは多くのフランス人が国境を越えるのを助け、多くのフランス人を日本の監獄から救い、彼らの生命と財産を守ったのである。事実上、1940年の秋から、わが国はフランスの植民地ではなくなったが、日本の植民地と化したのだ。

Khi Nhật hàng Đồng minh thì nhân dân cả nước ta đã nổi dậy giành chính quyền lập nên nước Việt Nam Dân chủ Cộng hòa. Sự thật là dân ta đã lấy lại nước Việt Nam từ tay Nhật, chứ không phải từ tay Pháp. Pháp chạy, Nhật hàng, vua Bảo Đại thoái vị. dân ta đã đánh đổ các xiềng xích thực dân gần một trăm năm nay để gây dựng nên nước Việt Nam độc lập. Dân ta lại đánh đổ chế độ quân chủ mấy mươi thế kỷ mà lập nên chế độ dân chủ cộng hòa.

日本が連合国に降伏すると、わが国の人民は、ヴェトナム民主共和国を建設すべく政権樹立に立ち上がった。事実上、わが民はヴェトナムをフランスの手からではなく、日本の手から奪取したのである。フランスが逃げ、日本が降伏し、バオダイ(Bao Dai)皇帝は退位し、わが民はこの約100年の植民地主義者からの鎖を取り払い、独立したヴェトナムを樹立した。わが民はまた、何十世紀におよぶ君主制を打倒し、民主共和制を打ち立てた。

Bởi thế cho nên, chúng tôi, lâm thời chính phủ của nước Việt Nam mới, đại biểu cho toàn dân Việt Nam, tuyên bố thoát ly hẳn quan hệ thực dân với Pháp, xóa bỏ hết những hiệp ước mà Pháp đã ký về nước Việt Nam, xóa bỏ tất cả mọi đặc quyền của Pháp trên đất nước Việt Nam. Toàn dân Việt Nam, trên dưới một lòng, kiên quyết chống lại âm mưu của bọn thực dân Pháp.

これにより、われわれ新ヴェトナム臨時政府は、ヴェトナム全国民を代表し、フランスとの植民地関係をすべて断ち切り、フランスがヴェトナムについて調印したすべての条約を撤廃し、ヴェトナムにおけるフランスのすべての特権を撤廃することを宣言する。ヴェトナム全国民は心をひとつにし、フランス植民地主義者の陰謀に対し断固として抵抗する。

Chúng tôi tin rằng các nước đồng minh đã công nhận những nguyên tắc dân tộc bình đẳng ở các hội nghị Tê-hê-răng và Cựu-kim-sơn, quyết không thể không công nhận quyền độc lập của dân Việt Nam. Một dân tộc đã gan góc chống ách nô lệ của Pháp hơn tám mươi năm nay, một dân tộc đã gan góc đứng về phe đồng minh chống phát-xít mấy năm nay, dân tộc đó phải được tự do! dân tộc đó phải được độc lập!

われわれは、テヘランおよびサンフランシスコでの会議において民族の平等原則を承認した連合国が、ヴェトナム人民の独立権の承認を拒否することはないと信じている。80年以上にわたりフランスの支配に勇敢に抵抗してきた民族、この数年間のファシストに抵抗し連合国と共に勇敢に闘ってきた民族、このような民族は、自由にならなければならない!このような民族は、独立しなければならない!

Vì những lẽ trên, chúng tôi, Chính phủ lâm thời của nước Việt Nam Dân chủ Cộng hòa, trịnh trọng tuyên bố với thế giới rằng: Nước Việt Nam có quyền hưởng tự do và độc lập, và sự thật đã thành một nước tự do, độc lập. Toàn thể dân tộc Việt Nam quyết đem tất cả tinh thần và lực lượng, tính mạng và của cải để giữ vững quyền tự do, độc lập ấy.

以上の理由から、われわれヴェトナム民主共和国臨時政府は世界に向けて、厳粛に次のように宣言する。ヴェトナムは自由と独立を享受する権利を有し、事実、自由で独立した国家となった。すべてのヴェトナム民族は、精神と力、生命と財産のすべてをもって、この自由と独立の権利を守り抜くと決意する。

HỒ CHÍ MINH

ホー・チ・ミン

(和訳:木村友紀)

参考資料:

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長文でしたが、最後まで読んでいただき感謝いたします。

From Hem

2015年8月27日木曜日

ドンナイの幼稚園と教会へ


以前からARBAとしても個人としても大変お世話になっている、ドンナイ省の幼稚園と教会に行ってきました。路線バスで約2時間…ですが、この日は運悪くエアコンの壊れたバスに当たってしまい、激暑の車内をうんうん唸りながら揺られていました。



暑さに耐えきれず、バスを乗り換えるポイントでカフェスアダーで休憩…。


ひとつ目の行き先である、幼稚園の様子。3~5歳児約400名が通っている、大規模な幼稚園です。9月から新年度のスタートですが、8月最終週からもう始業していたとのこと。新体制になって4日目にあたるこの日は、さすがに先生達も慌ただしくしていましたが、皆さんお元気そうで安心しました。


ちょうどお迎えの様子が見られましたが、園児たちのお父さんお母さん、よりも、おじいちゃんおばあちゃんのお迎えが目立ちました。小さな頃からバイクの後ろにちょこんと座り慣れている子どもたち。たくましいです。


幼稚園の後は、ふたつ目の行き先、教会へ。ARBAのツアーでは何度も宿泊させてもらってきました。夕方の礼拝の様子が見られましたが、この日はちょうど「聖モニカ記念日」という特別な日だったそうで、礼拝のなかで地元の男性陣による太鼓の演奏が見られました。女性(特に母親?)に対して感謝する記念日であるというこの日、いつもは普段着で参列する女性たちが、正装として色とりどりの美しいアオザイで来ていたのも印象的でした。

カトリックの儀式でありながら、ベトナムの伝統的なスタイル(太鼓やアオザイ)でお祝いをする… この融合が、何とも言えない不思議な雰囲気をつくっていましたが、この融合こそが、ベトナムにおけるカトリックのあり方なのだとあらためて認識しました。そんな大切な儀式を中心で取り仕切る神父さんにもお会いでき、やはりお元気そうな様子に安心しました。

ドンナイの幼稚園と教会は、これからも通い続けたい大切な場所です。

From Hem