2013年12月2日月曜日

「悲しみを分かち合う」


一昨年に日本で大震災が起こったとき、私は今と同じようにサイゴンにいた。

そのときちょうどウェブサイトを見ていて、地震があったことはすぐに知ったが、ぼうっとしていたのだろう、事態が深刻だということに気づいたのはもう少し後、ベトナム人の友人たちから電話をもらって、だった。

「日本で大変なことが起きているらしいけど、あなたの家族や友達は大丈夫なのか?」

こうした電話が連続でかかってきて、慌ててテレビをつけ、ネットのニュースを熟読し、ようやく状況がわかった。実家や親友に国際電話をかけたが回線が混み合いつながらない。彼らの声が聞け、少し気持ちが緩んだのはその日の夜だった。

その後はしばらく、サイゴンでどこに行っても私が日本人とわかると、いろいろな人が声をかけてくれた。友人知人だけでなく、たまに行くコピー屋のおばちゃんや、図書館の係員のおじいさんや。一度も言葉を交わしたことがなかったのに、突然、「あなたの家族や友達は大丈夫なのか?」と声をかけられた。そのたびに胸が熱くなった。私の家族も友達も大丈夫だけれど、日本では大丈夫じゃない人がたくさんいるのだということを説明した。なかには涙を流し私以上に苦しそうにしているベトナムの人もいた。 こちらで私が使用しているMobifoneという電話会社は、期間限定で日本への国際電話を無料にするサービスを行っていたが、Mobifoneのオフィスのお姉さんも優しく、だけど辛そうな表情でサービスを説明してくれた。

こうした場面に出会うたびに、よく言われた台詞がある。"Chia buồn"(チア・ブォン)という言葉だ。

Chiaは「分ける、共有する」で、buồnは「悲しい、さびしい」という意味の単語。「悲しみを分かち合う」という意味になるこの台詞が、日本のいわゆる「お悔やみ申し上げます」という台詞にあたることは、なんとなくピンときた。物資も、財産も、そして感情も、いつだってシェアすることを大切にしているベトナムの人びとらしい、暖かく素敵な言葉だと思った。

この"Chia buồn"という言い方は、誰かの死を悲しんで弔ったり、先のように災害などが起こって深刻な状況がもたらされお悔やみを伝えたいときに使う言い回しらしい。日常で何か嫌なことがあり、「ちょっと聞いてよ、悲しいことがあってさ」というような、気軽な形では使えないようだ。 こうしたときには、Chia sẻ nỗi buồn とか、 với đi nỗi lòng といった言い方がふさわしいのだと、ベトナム語で日記を書くのに利用しているLang-8という外国語学習サイトで教えてもらった。もちろん、人の悲しみのレベルを決め付けてしまうことなんて、他人にはできないけれど。

"Chia buồn"は、それが言われる場面を想像すると辛いが、私が好きなベトナム語のひとつだ。ベトナムの人の「分かち合う」精神に、ほんの少し、触れられるような気がするから。

From Hem



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