2015年5月27日水曜日

キューバの想い出


2012年のことですが、キューバを旅しました。

ある友人が最近仕事を辞め、キューバに行きたいよ~と言っていたので写真などを紹介した今日。写真を通してあのときの感動がよみがえってきたり、写真を見ても全然思い出せないことがあったり。つくづく人間って、忘れちゃうんだなぁと思いました。

今年に入り、アメリカと国交を結んだキューバ。そのうちマックとかスタバとかできるのかなぁ…。なんだかあの街に不釣り合いなそれらができる前に、カストロ氏が元気なうちに、もう一度行けないかなぁなんて、友人の話を聞きながら考えていました。写真をちょこっと、載せておきます。



















葉巻とモヒートと音楽と、人々の笑顔の溢れる国、街。なんて素敵な場所だったんだろ。

From Hem

2015年5月24日日曜日

スクランブル交差点の孤独


先日用事があって、久しぶりに渋谷に行きました。ハチ公口改札を出て、ちょうど赤信号にひっかかり、しばし、あのスクランブル交差点に立ちました。

なんだかドキドキしてしまったのです。クラクラ、と言ってもいいかもしれない。不思議な感覚でした。普段、同じ都内でも、あまり人の多くない静かなエリアで暮らしているため、渋谷駅に降り立ったときから、人の多さに圧倒されてドギマギはしていたのですが、交差点でそのドギマギが最高潮に(笑) この気持ちはなんだろう…(合唱曲の出だしみたい)と自分なりに考えてみたので、備忘録的にここに綴っておこうと思います。


*ドギマギ理由ひとつめ……とにかく人が多い。

上述のように、まずは私の普段の住環境との差かな、と思います。静かで人の少ないところに慣れてしまったので、人が多いと単純にびっくりしてしまいます。


*ドギマギ理由ふたつめ……音や声が一度にたくさん聞こえる。

スクランブル交差点に立ったとき、すぐ隣にいた男性2人組の会話が耳に飛び込んできました。決して盗み聞きをしようとしているわけではないのに、距離が近いゆえに聞こえてきてしまいます(ある俳優さんについての見解を語り合ってました)。もちろんこの2人組だけではなく、四方八方から人々の声が聞こえてきます。さらにこのとき交差点には、目の前の大画面からは女性歌手の歌うポップな音楽が流れ、すぐそばには大音量で政治的な主張をする車もとまっていました。このとき私の耳に入ってきた音や声はすべて日本語で、当然ながらおおよその意味もわかります。サイゴンでも音や声に囲まれた生活をしていて(人々の大きな声や、バイクのクラクションに代表されるような)、ときには渋谷のそれよりもうるさいのではないか、ということもありましたが、不思議なのは、やっぱりベトナム語は私にとって外国語で、意識してよーく聞かないと意味を解読できないのです(だから通訳をするときは全神経を集中させ、疲労します)。逆に言えば、意識をしなければそれは心地の良いBGMとなってくれます。ところが日本語ではそうはいかないようで、音や声が耳からすーっと入ると同時に意味が解読でき、それが一度にたくさんだと、頭が混乱したのかなぁと思いました。


*ドギマギ理由みっつめ……誰とも関わっちゃいけない空気感。

これは早朝の満員電車でもよく感じることです。満員電車は、あんなに体を密着させ、これ以上ないっていうくらい物理的に他人と近づいているにもかかわらず、「とにかく人に迷惑をかけないように」「関わり合わないように」という意識がそこにいる人々のあいだで働いて、互いが文字通り息を潜め、心理的な距離感としては他人を非常に遠くに感じざるを得ない時間なんじゃないかなぁと思います。これはきっと、東京では当たり前のことなのかもしれません。でも、サイゴンでの暮らしや、ベトナム国内を旅するなかで、私がすっかり忘れてしまっていた感覚でした。ベトナムでバスや列車に乗ると、たまたま隣あった席の人に必ずというほど「どこに行くの?」と聞かれます。「どこどこだよ」と答えると、私の発音がネイティブのそれとは違うからでしょう、「あれ、あなた何人?どのくらいベトナムにいるの?職業は?年齢は?給料は?結婚は?……」と会話が始まって、どちらかが降りる頃には笑顔で「じゃーね!」となることがしばしば。驚くべきことにFacebookのアカウントや電話番号を聞かれることさえあります(笑) そんな、近くにいる人とは気軽におしゃべりを楽しむのが当たり前の環境にいたせいか、東京の満員電車や、先日のスクランブル交差点で感じたような、誰とも関わっちゃいけないという空気感には、ドギマギしてしまいました。ここで「空気感」という言葉を使う自分も、なんだかなぁと思います。「空気を読む」なんていう言葉が日本で流行ったことがありましたが、ベトナムじゃ絶対に生まれないだろう言い回しだなぁと思います。


以前ある友人(東京在住)と会ったときに、「さみしさ」についての話になりました。いつ、どんなときにさみしさを感じるか、という話でしたが、その人は「満員電車のなか」と言っていました。先日スクランブル交差点に立ったとき、私はその人の回答の意味をようやくわかったような気がしました。スクランブル交差点、あるいは満員電車は、東京でもっとも孤独を感じる場所かもしれません。結局さみしさって、自分の内側の問題なんだなぁと思います。誰かのせいにしちゃいけない、とも。

だからって、東京が嫌いになるわけでもなく。別のある友人には「リハビリが必要だね」なんて笑われましたが、実際のところは慣れてもいいし、慣れなくてもいいし、どっちでもいいかなぁなんて思っている私です。肩の力を抜いて、自然の流れに身を任せるということを、ここ最近でやっと、少しずつ覚えてきました。とはいえ、私はしばらくここ東京で暮らしてみようと思っています。上記のような自分の感情の動きを知るのも、また、ここでしかできない貴重なことかなぁと、それはそれで、妙に楽しんでいるこの頃なのです。


From Hem

2015年5月23日土曜日

江古田「マイマイ」


先日、友人と江古田駅にほど近い「マイマイ」というベトナム料理屋さんに行ってきました。ずっと気になっていて行ってみたかったお店でした。

ちなみに「マイマイ」というのはベトナム語で書くとMãi Mãi、「永遠に」という意味の単語。


ベトナムの屋台食堂をイメージして造られたという店がまえ。確かにとってもベトナム!周囲には銀行とかドラックストアがあるのですが、ここだけ完全に異彩を放っていました(笑)


店内の様子。テーブルも椅子もまさにベトナム風。壁もまるで路地裏(ヘム!)のよう。一緒に行った友人もベトナム留学経験者、ふたりして「妙に落ち着くね~」と話していました(笑)


おしぼりや箸、食器もベトナムのもので揃えるというこだわり。特におしぼりは袋内の空気を片側に寄せてパーーン!とやる方法まで、わざわざ壁のボードに紹介しているあたり、とってもおもしろかったです。もちろん、パーーン!とやりました(笑) ああ、久しぶり!

蓮の茎のサラダ

肝心のお料理は…これがとーっても美味しくて!外装や内装と同じように、本場の味を再現することにこだわっているオーナーさんの考えがよーく伝わってくる味でした。東京にはベトナム料理屋さんが増えたみたいですけど、わりと日本人の口に合うようにきれいに整えられているところが多くて、それはそれで、もちろん美味しいのですが、このマイマイではベトナムをそのまま味わえます。

厚揚げのトマトソース煮込み
あさりのフォー

他にも、空芯菜のにんにく炒めや、高菜と鶏肉の炒めものなど、定番の屋台料理ばかりで、幸せでした~


ベトナムの黒ビール、「ダイヴィェト」もありました♪

マイマイ、おすすめです。そして今回は入らなかったのですが、数軒となりには、より「屋台」感を前面に出したベトナム食堂「Ecoda Hem」もあります。そう、このブログのタイトルにもなっている「ヘム」です!友人いわくこちらは軽食系が多いとのこと、次回はぜひ、そちらもチャレンジしてみようと思います。

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お店情報
Ecoda Hem/Mai Mai
http://www.ecoda.jp/
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2015年5月20日水曜日

【開催情報】6月27日(土)ベトナム語・クメール語学習会「となりのことば」

~このイベントは終了しました~


*お知らせです*(2015年6月21日更新)

【満員御礼】 参加者が定員に達しましたので、本イベントへのお申し込みは終了させていただきます。ご参加を決めてくださった皆様、ご紹介くだった皆様、ありがとうございました。当日はどうぞよろしくお願いいたします。


6月27日(土)午前中に、ベトナム語とクメール語(カンボジア語)に同時に触れてみようの会、「となりのことば」という学習会を行います。

私もメンバーとなっているNPO-ARBAでは、10年以上に渡ってこの2つの国を旅し、活動を行ってきました。私がベトナムと出会い、ベトナム語を始めようと思ったのも、ARBAのツアーがきっかけでした。2つの国は、文化もことばも異なりますが、おとなり故に歴史では密接な、そして複雑なかかわりを持ってきました。そんな2つの国から、私たちは国際交流とは何か、たくさんの大切なことを学ばせてもらってきました。

これからも通い続けたい2つの国、ベトナムとカンボジアのことを紹介したい、できれば私が取り組んでいる「ことば」という分野でと思い、今回の学習会を主催しました。今回はスペシャルゲストに、東京在住のホンさん(ベトナム)・ティエルンさん(カンボジア)にお越しいただきます。おふたりの発することばから、その違いを味わえればと思っています。それぞれの文化や暮らしのこともご紹介いただく予定です。

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ベトナム語・クメール語学習会「となりのことば」

【日時】2015/6/27(土)10:30~12:00

【料金】1500円(税込)

【定員】20名

【場所】10°CAFE(ジュードカフェ)3階イベントスペース
東京都豊島区高田3-12-8
最寄駅「高田馬場」早稲田口改札より徒歩3分
http://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13120404/dtlmap/

※料金にはスペース利用費、学習会資料、ドリンク代(ベトナムコーヒー)が含まれます。当日のお支払いです(現金のみでお願いいたします)。

※ベトナムコーヒーは途中休憩の際に御提供します。その他のドリンクが必要な方は各自御持参ください(スペースのみの利用のため、ジュードカフェさんでの購入等はできないようになっています)。

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お問い合わせ・ご参加申し込みは、このブログ左側の連絡フォームや、木村宛てにFacebook、Line、Mailなどでご連絡いただけますようお願いいたします。

みなさまのご参加をお待ちしています!

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2015年5月13日水曜日

奥深き「トンカーム」


この4月より、ご縁があって某専門学校のお仕事をさせていただいています。留学生がほとんどを占めるこの学校には、ベトナム人学生も多く、その数は年々増えているそうです。彼らは入学以前より日本語を学んできているので、日常会話は心配ないのですが、さらなる専門性をと、日⇔越の翻訳や通訳のトレーニングをする授業が設けられていて、私がその一つの授業を担当することになりました。

私自身がまだまだ修行中の身で、いまの私に翻訳や通訳の何を伝えられるだろうと、毎回本当にドキドキしながらやっていますが、せっかくいただいた貴重な機会なので、いろいろチャレンジして、勉強させていただこうと思っています。

学生たちとの顔合わせの日、翻訳・通訳の練習の一環として、彼らにあるベトナム語を日本語にするとどういう表現になると思うか、という課題を出しました。

それは、「Thông cảm(トンカーム)」という動詞。私が大好きなベトナム語であり、同時に悩まされ続けた単語でもあります。

もちろんこのトンカームという単語も、当然ながら使われる場面や状況によって多少意味合いが変わって来るので、私のサイゴンでの実体験に基づいて、こんな場面を設定してみました。

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ある日の夕方、私がほぼ毎日のようにカフェスアダー(練乳入りベトナムコーヒー)を買う、道端のコーヒー売りのおばちゃんのところに、いつもどおり買いに行きました。

私 「Cô ơi, cho con một ly cà phê sữa đá
(おばちゃん、カフェスアダーを一つちょうだい)

おばちゃん 「Hôm nay cà phê hết rồi.」
(今日はもうコーヒーが売り切れたんだよ)

私 「Trời ơi, vậy à? Tiếc qua...
(えー、そうなの?残念だなぁ…)

おばちゃん 「Thông cảm nhé.」
"トンカーム"ね!)
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会話の流れで、日本的な考えをすると、最後におばちゃんは「ごめんね!」と謝っているように感じます。でもベトナム語では、「トンカーム」とは別に、Xin lỗi「シンローイ」という謝罪の意を示す表現があるのです。なぜおばちゃんは「シンローイ」ではなく「トンカーム」と言うのか・・・。

「トンカーム」は、実は、「通感」という漢字をあてはめることができます。これはいわゆる日本語の「共感」に近いニュアンスで、気持ちが通じ合う、分かり合う、という意味。一方で「シンローイ」は、lỗi (誤り、過失)をxin(申し上げる)という言い方で、自分のミスを認めて謝罪する、という意味合いです。

これについて、先の専門学校の学生たちに尋ねてみました。おばちゃんは最後に「トンカーム」と言い、一体どういう気持ちだと想像できるかと。彼らの答えはみな、「コーヒーが売り切れたから仕方がないという状況を(お客さんである私に)わかってほしい、理解してほしい、共感してほしい」でした。物資もお金も、気持ちも"共有する"ことを大切にしているベトナムの人々の精神を見事に表現している単語じゃないかと、私は思います。

では日本語に翻訳してみると、この「トンカーム」はどうなるか。学生たちからはこんな意見が出てきました。

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・『わかってください』『共感してください』と直訳すると日本語では失礼な印象になってしまうと思うので、『申し訳ございません』とか『ごめんなさい』とか『すみません』といった表現にする。

・ここではおばさんは謝罪のニュアンスもあると思うので、上記同様やはり『申し訳ございません』などにする。

・「トンカーム」のニュアンスを出すために、『許してください』とか『ご了承ください』といった表現にする。

・これらの表現を組み合わせて、『申し訳ございませんが、ご了承ください』という表現にする。
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そんななか、あるひとりの学生がユニークな意見を出してくれました。

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・今日はもうコーヒーがなくなってしまったけど、お客さんにはまた飲んでほしいから『すみません、また明日来てください』という表現にする。
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これにはクラスじゅうが賞賛の笑いを送りました。おばちゃんは一言も「また明日来てね」なんて言っていないけれど、「トンカーム」のニュアンスを加味したうえでの意訳、というよりも創作でした。たった一語の「トンカーム」にここまで広がりが出たことが面白く、そのうえでこの単語はベトナム語独特の素敵な言い方だと思うという私の感想を、彼らに伝えました。

翻訳に必要な力って、その言葉を発した人への想像力と思いやりなんじゃないかと、あらためて思います。急におばちゃんのことが恋しくなってきたので、今後サイゴンに行ったら、真っ先に顔を見に行きたいです。「トンカームね!」と言ってくれるかな。売り切れは、いやだけど。

From Hem

2015年5月8日金曜日

電柱、電線、空



あ、なんか、サイゴンぽいと思わず撮ってしまった電柱、電線と、空。

連休中に久々の友人とたくさん再会しました。これまでにとらわれるでもなく、先の心配ばかりをするでもなく、いま自分のやるべきことをやっている友人たちは、とってもかっこよく見えました。私は自分に都合のわるいことを、「逆カルチャーショック」という都合のよい言葉で片付けるのを、やめようと決めました。

顔馴染みになったスーパーのレジのお姉さんが、「スターフルーツが安くていいですよ」と教えてくれたので、日本でも売ってるんだと驚いたら、八百屋さんの名前でした。

楽しもう。

(自分のFacebook投稿より、転載)

From Hem


2015年5月7日木曜日

サイゴンの朝食あれこれ


11月末に日本に戻ってきたのですが、実は2月初旬に1週間ほど、ある企業さんとのお仕事で、サイゴン出張をしてきました。お仕事なので自分のペースで動けないのは当然、けれど朝食くらいは!とホテルを出て、かつての懐かしい味を楽しんできました。活気づくサイゴンの朝に、負けじとこちらも早起きして動き出す。現地のひとびとのペースに合わせるのが、暑いあの土地で元気に暮らす秘訣のように思います。


初日の朝に食べた、Bún thịt nướng(ブンティッヌーン/焼き肉のせブン)。以前地元の友人に教えてもらった、ドンコイ通りの路地をちょちょっと入った先にあるお店にて。

bún......ブン(米麺のひとつ)
thịt......肉
nướng......焼く

生野菜をたっぷりのせて、そこにヌクマムベースのたれをたっぷりかけながらいただきます。たれにはお好みで唐辛子を入れて、辛めにするとお肉とよく合います。美味。



二日目の朝に食べた、Bánh đa cua(バインダークア/蟹入りバインダー)。こちらは以前、ブログの記事としても書いたことがあります。かつて暮らしていた家の近くにあり、どうしても食べたくて食べたくて、向かったのでした。やっぱり、美味。

以前の記事はこちら↓ よろしければご覧ください。
http://nhatkytronghem.blogspot.jp/2013/08/blog-post_15.html



最終日には、Phở gà(フォーガー/鶏肉のフォー)。フォーの美味しいお店はたくさんあるけれど、私が好きなのはベンタイン市場にほど近い、1区Thủ Khoa Huân通りにある「Cát tường(カットゥーン)」というお店。スープがさっぱりしているところが好きで、日本から友人が来たら紹介したいお店のひとつです。Xôi gà(ソイガー/鶏肉のおこわ)も一緒に頼んでおなかいっぱい。


サイゴンには美味しい麺料理がたくさん。にぎやかな朝、街に繰り出して自分好みの麺を見つけるのが、楽しいのです(仕事もちゃんとしてきました…!)

From Hem

2015年5月5日火曜日

あたたかさとともに


あっという間に5月になりました。

ここ数日は夏のように暑く、このままでは夏本番は一体どれだけ暑いのかと憂う気持ちがある一方、サイゴンにいた頃のような気候に、身も心もうきうきしている私です。

昨年11月末に日本に帰って来てから、5か月が経ちました。

ちょうど冬だったこともあり、寒さに体がなかなか適応できず、他にも朝と夜の満員電車とか、家族に囲まれて生活することとか、放っておいても言葉と情報がどばばばっと入って来てしまうこととか、それによって人と自分を比べてしまうこととか。5年のサイゴン生活で忘れていたこっちでの暮らしが一気に押し寄せ、環境と、人との関係の変化にゆらゆらと揺られ、どうしたらよいものかわからぬまま、立ち位置を見失いそうになる、そんな5か月でした。

いま、あたたかさとともになんとなく、調子が整ってきたように思います。ありがたいことに、ベトナム語のお仕事も少しずつできるようになってきました。

そんないま、ブログも再開しようと思い。日本にいても発信できるベトナム語のこと、さがしてゆこうと思います。

ゆるい発信ですが、お付き合いいただければ幸いです。


写真は4月に友人と行った、谷中霊園の桜。あたたかさは、元気をくれます。


From Hem