こ
の日のテーマは「ベトナム戦争」。日本にいた前期授業でも多くの時間を使って皆で取り組んだテーマです。午前中は戦争証跡博物館へ。学芸員の方の案内で館
内の展示物を見学したのち、館長のヴァン(Vân)さんにお話を伺う時間をいただけました。ヴァンさんとは、実は私が日本に3か月帰っていた間に銀座のニ
コンプラザで開かれていた石川文洋さんの写真展でお会いし、今回の学生達との対談を申し込んで快諾してくださった経緯があります。私自身初めて聞く、博物
館側の人たちのお話は、どれも本当に貴重なもので、なかでもヴァンさんの、
「今のベトナム人の若者には、自分たちが、こういう戦争があった国の一員であることをわかってほしい」
と
いう言葉は印象深く、驚きました。確かに今の若い世代は、私が日本で起こった戦争を知らないのと同じように、ベトナム戦争を知らない世代です。自分の国の
歴史を知ることはもちろん大切だと思うけれど、それが「国の一員だと認識するため」という一言に重みを感じました。私は日本にいた頃(あるいはベトナムに
いる今も尚)、自分が日本という国の一員であると認識できたことがあっただろうか…と疑問に思いました。自国の歴史を知ることは、自分がその国と社会のメ
ンバーであることを確かめる作業、さらに言えば、世界の歴史を知ることは、自分がこの世界のメンバーであることを確かめる作業なのではないかと、「歴史を
学ぶ」ということの意味と価値が、私のなかで覆った言葉でした。自分に関係のない歴史なんて、ないのだと思いました。ベトナム戦争に限らず、自分の身の回
りで、世界のあちこちで起こるすべての出来事に関心を寄せられるか、そのことが今後の自分のテーマになっていくように思いました。
午後はツーズー病院平和村へ。 主任医師のタン(Tần)さんから平和村の成り立ちやここに暮らす枯葉剤被害の子ども達のお話を伺い、その後は実際に子ども達の部屋を訪問・見学させてもらいました。私はここに来るのは初めてじゃなかったのですが、いつ来ても子ども達は外国人の訪問者にずいぶんと慣れている様子で、だっこやおんぶを明るくねだってきます。とはいえそうやって元気に歩き回れる子ども達は一部で、ベッドから自力では起き上がれず、一日中寝たきりの子ども達もいます。タン医師のお話によれば、現在は60名の枯葉剤被害を受けた子ども(年齢は新生児から33歳まで)がおり、うち60%は知的障がいと身体障がいの複合、残り40%は身体障がいのみがあり、ただしうち20%は知的にやや問題があり、平和村から外部の学校に通えているのは残りの20%のみ、ということでした。子ども達の家庭環境は様々で、親も枯葉剤による障がいがあって子どもを養えなかったり、貧困家庭であったり。親は元気だけれども障がいを持った子どもを許容できず、産んですぐに捨てられたがゆえに平和村にやってきた子もいるそうです。
午前中の博物館のヴァン館長の言葉が思い出されました。ヴァンさんは定期的に戦争被害や枯葉剤被害を受けた人々の家庭を訪問しているそうなのですが、「彼らに同じ悲しみはない」と。「枯葉剤被害」とひとくくりにすることなどできず、障がいの程度も、それによってできることやできないことも、すべて異なる平和村の子ども達。医師や看護師さんたちの困難は計りしれません。
この日二つの訪問先に行って共通して感じたことは、「知る」、ということ。何かを知り受け取ってしまった私、そして学生達には、まずはこれを他者へ「伝える」責任があるのではないか、と。同時により深く「知る」ことの必要性も、強く感じた一日でした。
From Hem
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