2015年5月13日水曜日

奥深き「トンカーム」


この4月より、ご縁があって某専門学校のお仕事をさせていただいています。留学生がほとんどを占めるこの学校には、ベトナム人学生も多く、その数は年々増えているそうです。彼らは入学以前より日本語を学んできているので、日常会話は心配ないのですが、さらなる専門性をと、日⇔越の翻訳や通訳のトレーニングをする授業が設けられていて、私がその一つの授業を担当することになりました。

私自身がまだまだ修行中の身で、いまの私に翻訳や通訳の何を伝えられるだろうと、毎回本当にドキドキしながらやっていますが、せっかくいただいた貴重な機会なので、いろいろチャレンジして、勉強させていただこうと思っています。

学生たちとの顔合わせの日、翻訳・通訳の練習の一環として、彼らにあるベトナム語を日本語にするとどういう表現になると思うか、という課題を出しました。

それは、「Thông cảm(トンカーム)」という動詞。私が大好きなベトナム語であり、同時に悩まされ続けた単語でもあります。

もちろんこのトンカームという単語も、当然ながら使われる場面や状況によって多少意味合いが変わって来るので、私のサイゴンでの実体験に基づいて、こんな場面を設定してみました。

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ある日の夕方、私がほぼ毎日のようにカフェスアダー(練乳入りベトナムコーヒー)を買う、道端のコーヒー売りのおばちゃんのところに、いつもどおり買いに行きました。

私 「Cô ơi, cho con một ly cà phê sữa đá
(おばちゃん、カフェスアダーを一つちょうだい)

おばちゃん 「Hôm nay cà phê hết rồi.」
(今日はもうコーヒーが売り切れたんだよ)

私 「Trời ơi, vậy à? Tiếc qua...
(えー、そうなの?残念だなぁ…)

おばちゃん 「Thông cảm nhé.」
"トンカーム"ね!)
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会話の流れで、日本的な考えをすると、最後におばちゃんは「ごめんね!」と謝っているように感じます。でもベトナム語では、「トンカーム」とは別に、Xin lỗi「シンローイ」という謝罪の意を示す表現があるのです。なぜおばちゃんは「シンローイ」ではなく「トンカーム」と言うのか・・・。

「トンカーム」は、実は、「通感」という漢字をあてはめることができます。これはいわゆる日本語の「共感」に近いニュアンスで、気持ちが通じ合う、分かり合う、という意味。一方で「シンローイ」は、lỗi (誤り、過失)をxin(申し上げる)という言い方で、自分のミスを認めて謝罪する、という意味合いです。

これについて、先の専門学校の学生たちに尋ねてみました。おばちゃんは最後に「トンカーム」と言い、一体どういう気持ちだと想像できるかと。彼らの答えはみな、「コーヒーが売り切れたから仕方がないという状況を(お客さんである私に)わかってほしい、理解してほしい、共感してほしい」でした。物資もお金も、気持ちも"共有する"ことを大切にしているベトナムの人々の精神を見事に表現している単語じゃないかと、私は思います。

では日本語に翻訳してみると、この「トンカーム」はどうなるか。学生たちからはこんな意見が出てきました。

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・『わかってください』『共感してください』と直訳すると日本語では失礼な印象になってしまうと思うので、『申し訳ございません』とか『ごめんなさい』とか『すみません』といった表現にする。

・ここではおばさんは謝罪のニュアンスもあると思うので、上記同様やはり『申し訳ございません』などにする。

・「トンカーム」のニュアンスを出すために、『許してください』とか『ご了承ください』といった表現にする。

・これらの表現を組み合わせて、『申し訳ございませんが、ご了承ください』という表現にする。
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そんななか、あるひとりの学生がユニークな意見を出してくれました。

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・今日はもうコーヒーがなくなってしまったけど、お客さんにはまた飲んでほしいから『すみません、また明日来てください』という表現にする。
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これにはクラスじゅうが賞賛の笑いを送りました。おばちゃんは一言も「また明日来てね」なんて言っていないけれど、「トンカーム」のニュアンスを加味したうえでの意訳、というよりも創作でした。たった一語の「トンカーム」にここまで広がりが出たことが面白く、そのうえでこの単語はベトナム語独特の素敵な言い方だと思うという私の感想を、彼らに伝えました。

翻訳に必要な力って、その言葉を発した人への想像力と思いやりなんじゃないかと、あらためて思います。急におばちゃんのことが恋しくなってきたので、今後サイゴンに行ったら、真っ先に顔を見に行きたいです。「トンカームね!」と言ってくれるかな。売り切れは、いやだけど。

From Hem

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