2015年5月24日日曜日

スクランブル交差点の孤独


先日用事があって、久しぶりに渋谷に行きました。ハチ公口改札を出て、ちょうど赤信号にひっかかり、しばし、あのスクランブル交差点に立ちました。

なんだかドキドキしてしまったのです。クラクラ、と言ってもいいかもしれない。不思議な感覚でした。普段、同じ都内でも、あまり人の多くない静かなエリアで暮らしているため、渋谷駅に降り立ったときから、人の多さに圧倒されてドギマギはしていたのですが、交差点でそのドギマギが最高潮に(笑) この気持ちはなんだろう…(合唱曲の出だしみたい)と自分なりに考えてみたので、備忘録的にここに綴っておこうと思います。


*ドギマギ理由ひとつめ……とにかく人が多い。

上述のように、まずは私の普段の住環境との差かな、と思います。静かで人の少ないところに慣れてしまったので、人が多いと単純にびっくりしてしまいます。


*ドギマギ理由ふたつめ……音や声が一度にたくさん聞こえる。

スクランブル交差点に立ったとき、すぐ隣にいた男性2人組の会話が耳に飛び込んできました。決して盗み聞きをしようとしているわけではないのに、距離が近いゆえに聞こえてきてしまいます(ある俳優さんについての見解を語り合ってました)。もちろんこの2人組だけではなく、四方八方から人々の声が聞こえてきます。さらにこのとき交差点には、目の前の大画面からは女性歌手の歌うポップな音楽が流れ、すぐそばには大音量で政治的な主張をする車もとまっていました。このとき私の耳に入ってきた音や声はすべて日本語で、当然ながらおおよその意味もわかります。サイゴンでも音や声に囲まれた生活をしていて(人々の大きな声や、バイクのクラクションに代表されるような)、ときには渋谷のそれよりもうるさいのではないか、ということもありましたが、不思議なのは、やっぱりベトナム語は私にとって外国語で、意識してよーく聞かないと意味を解読できないのです(だから通訳をするときは全神経を集中させ、疲労します)。逆に言えば、意識をしなければそれは心地の良いBGMとなってくれます。ところが日本語ではそうはいかないようで、音や声が耳からすーっと入ると同時に意味が解読でき、それが一度にたくさんだと、頭が混乱したのかなぁと思いました。


*ドギマギ理由みっつめ……誰とも関わっちゃいけない空気感。

これは早朝の満員電車でもよく感じることです。満員電車は、あんなに体を密着させ、これ以上ないっていうくらい物理的に他人と近づいているにもかかわらず、「とにかく人に迷惑をかけないように」「関わり合わないように」という意識がそこにいる人々のあいだで働いて、互いが文字通り息を潜め、心理的な距離感としては他人を非常に遠くに感じざるを得ない時間なんじゃないかなぁと思います。これはきっと、東京では当たり前のことなのかもしれません。でも、サイゴンでの暮らしや、ベトナム国内を旅するなかで、私がすっかり忘れてしまっていた感覚でした。ベトナムでバスや列車に乗ると、たまたま隣あった席の人に必ずというほど「どこに行くの?」と聞かれます。「どこどこだよ」と答えると、私の発音がネイティブのそれとは違うからでしょう、「あれ、あなた何人?どのくらいベトナムにいるの?職業は?年齢は?給料は?結婚は?……」と会話が始まって、どちらかが降りる頃には笑顔で「じゃーね!」となることがしばしば。驚くべきことにFacebookのアカウントや電話番号を聞かれることさえあります(笑) そんな、近くにいる人とは気軽におしゃべりを楽しむのが当たり前の環境にいたせいか、東京の満員電車や、先日のスクランブル交差点で感じたような、誰とも関わっちゃいけないという空気感には、ドギマギしてしまいました。ここで「空気感」という言葉を使う自分も、なんだかなぁと思います。「空気を読む」なんていう言葉が日本で流行ったことがありましたが、ベトナムじゃ絶対に生まれないだろう言い回しだなぁと思います。


以前ある友人(東京在住)と会ったときに、「さみしさ」についての話になりました。いつ、どんなときにさみしさを感じるか、という話でしたが、その人は「満員電車のなか」と言っていました。先日スクランブル交差点に立ったとき、私はその人の回答の意味をようやくわかったような気がしました。スクランブル交差点、あるいは満員電車は、東京でもっとも孤独を感じる場所かもしれません。結局さみしさって、自分の内側の問題なんだなぁと思います。誰かのせいにしちゃいけない、とも。

だからって、東京が嫌いになるわけでもなく。別のある友人には「リハビリが必要だね」なんて笑われましたが、実際のところは慣れてもいいし、慣れなくてもいいし、どっちでもいいかなぁなんて思っている私です。肩の力を抜いて、自然の流れに身を任せるということを、ここ最近でやっと、少しずつ覚えてきました。とはいえ、私はしばらくここ東京で暮らしてみようと思っています。上記のような自分の感情の動きを知るのも、また、ここでしかできない貴重なことかなぁと、それはそれで、妙に楽しんでいるこの頃なのです。


From Hem

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